2007.11.01 Thursday

リードの話

日本では飼い犬が外に連れ出されるときはリードでつなげておくという決まりがある。

図らずも犬は人と違い、危害を加えるかもしれないし、逃亡すれば多くに迷惑をかけることも考えられるからだ。動物だから・・・犬は・・・(苦笑)

でも多くの愛犬家は犬だからこそ、問題が起きてもある程度は考慮してもらえるものだと考えているし、逃げたら悲しいのは自分であって他人に迷惑をかけてしまうかもしれないと言う事は思いつかないっていうのが本当のところだろう。

大昔、犬を拘束しなくても良かった時代に今ほど共に歩く人のいう事を聞いていないような犬がいたとは思えない。幼かった記憶の片隅に、繋がれていた犬の姿は無く、飼われている家から逃亡するような犬もいなかったし、テリトリーが広かったことも覚えている。

何で今は放せない様な犬が多くなったのだろう?自由がある生活を学習させられない現状だからなのかなぁとも思ってみたり・・・。ちょっと悲しい部分だ。

私が犬にリードを繋ぐ最初の仔犬の時に『これは決りだからね』という。本当なら付けたくは無いけれど、つけないと君を知らない人が恐がってしまったり、何かあった時に君をすぐに守って上げられないからなんだよという。
それがスタートだ。

成長した彼らが逃げてしまうとか、他人に危害を加えてしまうかもしれないから拘束しているのだという思いはまったく無い。実際、手からリードが離れたとしても教育した犬たちなら動揺することも無いのだ。『あ・・・ごめ〜ん、リード離れてるからちょっと止まって!』といえばみんな止まって待ってくれる。離れたぜ〜ヤッホ〜と逃げてしまうようなことは無い(笑)

ましてや外なのだから、呼ばれてそばまでは来るけれど、『ココまでおいで〜』とか犬にからかわれることも無いわけで・・・そういうTEAMを見ると思わず笑ってしまうのは申し訳ないなと思うこともあるけど、微笑ましい反面、危ないなぁって思う。

勿論教育以前の子犬だと我家だって放れたら冷や汗をかくが・・・(笑)

犬と歩くとき、リードはないものだと思っているとおのずと犬に声をかける機会も多くなるし、同じ速度で同じ思いで一緒に歩くという気分は出来上がるんじゃないかって思う。
そうなっているときはリードは必ずたるんだ状態で犬に圧力がかかっていることはないに等しい。言い換えてみればリードが無い状態で一緒に歩いているって言う事と同じなのだ。この状態を繰り返さなければ犬は飼い主と同じ速度で平行してそばにいるという作業を学ぶことができない。

リードを緩んだ状態で!というのがどれほど大切な意味を持つものなのか、多くは犬と散歩する時に気がつかないものだろう。そのリードは重さが無く例えて言えば毛糸のように軽ければ軽いほど圧力はかからない。
そういう理由で唯一使うリードが我家ではショーリードとなっている。(5ミリくらいの太さのリード)

昔どこかのページに【犬と歩くときは恋人と腕を組んで歩くようにするといい】と書いたことがある。
【幼い子供の手を引いて歩くように・・・】そんなことも書いた覚えがある。

その相手が・・・自分の手を振り払って去っていくようなことがあったらそれは相手が悪いんだろうか?私はその場面に遭遇するときは何か有ったかを考える。
引っ張られる理由。後ろからとぼとぼ付いてくる理由。横に逃げるようにする理由。その理由にあわせてここにいたほうが良いよ〜と教えて行く。

蛍の唄じゃないけれど、あっちのみ〜ずはか〜らいぞ!こっちのみ〜ずはあ〜まいぞ。って言う奴だ。間違いを訂正させたら必ず犬は正しく行動するときがある。その時に褒められなかったらアウト!って言うやつだ。

犬は学習によって賢くなる。学習が間違っていなけれが一番簡単なのだから、教える側は正しいことを犬が理解できるように簡潔に教えなければならないと思う。
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2007.10.31 Wednesday

デイジーの恐いもの。

先日デイジーと久し振りにマンツーマンでお散歩に出た。

ひさしぶりの二人だけの散歩はかなりハイテンションだ。
『オイオイ引っ張らないでよ〜』とたしなめること数回・・・家から出た先の十字路でようやく良いペースで一緒に歩く。

デイジーは嬉しいと声をかけなくても自発的に顔を見上げてきて、『お母さん、楽しいネェ〜』と言ってくれる可愛い仔だ。
『今日は二人だけだネェ〜』とかしゃべりながら(他人からは相当不審者?)でも私たちは日の光を浴びながらぐるっとコースに行くことにした。

ぐるっとコースというのは家から出て鎌倉街道に出る。ココはバスも通るし交通量が比較的多い道だ。ライオンズマンションの歩道を歩き、お地蔵様から右に曲がって住宅街を抜ける。ここは途中に農園とかある一方通行で後ろから来る車さえ気をつけていればのんびりと歩ける道である。
そのままず〜っと歩き続けて高速の下へ合流すると交通量が増える道だ。少し歩くとスーパーバリューである。自転車や人も結構多くなった。右に曲がって最初の角を曲がって学校帰りに学生に会いつつ家に戻るという30分くらいのコース。

静かな道だけじゃなく、バスやトラックやオートバイも通り、、スーパーの駐車場を抜けるときには人もかなり多い。いろんな音もする。ペットショップもあるスーパーなので買い物ついでに犬連れの人も多い。
馴致にはトウが立ったデイジーだけど、お気に入りのコースだ。

が・・・アクシデントが起きた。

元気一杯に歩いてたデイジーがお地蔵様を曲がる時に突然パニック状態に・・・

「は?なんで???」

とっさに原因らしきものも見つからなかった。オートバイが爆音を立てて通ったわけでもないし、バスやトラックが轟音を立ててきたわけでもない。
変な格好の人が着たとか見たこともないベビーカーに遭遇したとか・・・な〜んにも無かった。

曲がり角の前にはお弁当屋さん。
椅子が置いてある・・・これってラッキー?財布も持ってるしもうじきお昼だしね。

私はくるくる回っているデイジーを抱き上げて(いまデブなので11キロくらいあるんだけど)とりあえずお弁当を注文し、目の前にあった椅子に座った。

デイジーはお弁当屋さんのほうには剥かずに道路の方を向いている。
心臓の部分に手を当てたまま『どうした?何があった?』と聞いてもがたがた震えているし抱きなおそうとするともがいて暴れる(/_;)
道路を見たら恐いかなと気をつけたけど、そうじゃないらしいのでデイジーが向きたい方向に抱いて状況を見ることにした。

椅子に座って犬を抱いているといろな人が通る。車もトラックもバスも通ったしオートバイも通った。
でもデイジーの心拍数に変化はないのだ。

こういうのってヘンダナァって思う。足にガラスでも刺さったかなと触っても何もないし痛がらないしね・・・

そんな風にしているうちに少しづつ落ち着いてきた。
頼んだものが出来上がった。この間5分くらいなもんだったろうか?

デイジーを下ろしお金を払いながら眼を放さずに見ているとちらちらとお店の方を見ながら顔をそむけるそぶりをする。
???お店が恐いの?そんなことある〜???

お弁当を受け取りデイジーに『さぁもうおうちに帰ろうね、なんか恐かったんだからもう良いね。』というとしっぽがピンと上がって笑顔のデイジー戻った。それでもまるで嫌な場所から逃げ出すかのようにまた引っ張るので『引っ張らないで!』というと顔を見上げて早く行こうよといった。

原因が知りたい。大人の犬がこんな風に恐がるものって一体何?
振り返ったところから見えたのはガラスに映ったゆがんだ姿のわたしたちだった。。。

あぁ・・・これが見えたのか・・・そりゃ変なものに見えたんだね。いつもは気にも留めない出来ていたから初めて見つけてしまったんだね。ビックリしても仕方が無いよね。そうかだから道路のほうに逃げたんだ。

デイジーの行動を思い出せばすべては解決する。
大丈夫って気が付いてるかな?私がいれば何も起きなかったって理解した?

念のためにちょっと店に戻ってみるとちゃんとついて歩いてくる。もう恐そうじゃないデイジーがいた。
斜めからはデイジーにはガラスに映った私たちが見えなかったせいもあるだろう。でも彼女はお弁当屋さんが怖いと思うことはなく過ぎることが出来たからそれで良い。

思わぬところでひさしぶりにデイジーのパニックを見て、その場で立て直せて上げられてほっとする。

昔、嵐の夜に息子と散歩に出たクリスが次の日からビビリまくって外に出なくなった日のことを懐かしく思い出した。
あの時は何を恐がっているのか見つけられなくてずいぶん大変だったんだよなぁ・・・
犬の記憶力は人が思うよりもずっと強い。恐いという学習は重ねれば重ねるほど頑固なものになる。
早く問題を見つけてその場でその犬に合わせた対処さえできれば犬はいつもの明るい仔のままでいられる。

私は犬には甘ちゃんなので恐がったら大人になっていたって落ち着くまで抱くこともするし、恐がるものに無理やり慣れさせようと強制したりはしない。

お化け屋敷が恐いわたしは大人になってもお化け屋敷が恐いままだ。平気になる為に一人で何回も入れといわれたら入れといった人を恨むし嫌いになるくらい嫌なのだ。ジェットコースターもそう(笑)
でもきっと無理やりではなく必ず一緒にいてくれると約束をしてくれてけっして私をおきざりにして逃げたりしない人ならば、恐くて泣いても笑ったりしない人ならば何とかがんばってみるかもしれない。

犬は人が理解できることをすべて同じように理解できるほど賢くはない。
でも危険ではないとか、恐怖を感じないでもいられるのだと言う事は学習できる。

犬に好かれるように立ち回ったか、嫌われるように立ち回っているのかの答えは少しの時間で正解がでる。
犬からの『私はこの様に理解しましたよ』という答えが自分が望んでいるものでなかったら、教え方が間違ったのだと気が着けば良いだけだ。

気がつくことができた人が犬に好かれて信頼される人になる。
ネェ〜デイジー、ママが大好きだよね?(^_-)-☆
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2007.10.30 Tuesday

排泄とマーキング。

男の子は特にお年頃になるとやたらめったらあちこちにマーキングを始める。
酷い場合には自分の住んでいる部屋でさえ掛け捲る〜なんって言う事もおきかねない。。。女の仔にもマーキングは当然だけど行動はあるので男の子ばかりじゃないんだけどネェ。(^_-)-☆
実際、女の子だって足あげてする子もいるくらいで、女の子男の子によらず両足あげて逆立ちになちゃうとか言うのもあったりしてかなり笑える。

でも笑ってる場合じゃないのがマーキングだ。
人様にご迷惑をかけない仔にすることの基本のひとつにはマーキングはやめさせることもはいる。やらせないっていうのが正解かな?これが以外に難しいと聞く。

自分のうちの中ではやらないから、『うちの子はしないです』と言い切る人も多い(苦笑)

通常犬は自分のテリトリー内(自宅及び庭など)に他のものが侵入する危険が無ければそれほど気にして印(マーク)をつけることは少ない。
が・・・他人様の家や外になったら話は別である。ヒートの女の仔なんかいた日には禁止がわかっている子じゃないと大変なことになるのは本能の仕業だ。

犬のテリトリーの線引きはココからココまでというものとは違ってそれぞれにテリトリーのサークルが重なっている。ココは俺の陣地だもんネェ〜とか、これもあれもオレのもんだよ〜とか、俺はココを通ったぞとか、お前生意気だからもう来るな!とか、犬は見えない相手に臭いで知らせなくちゃならないことがたくさんあるらしい。

犬たちがマーキングから得る情報は人が知っている範囲よりもきっともっともっと多いんだろうなって思う。無言の圧力って言う奴も掛けられるらしい。
以前実験で【狼】にマーキングさせた電柱の匂いを嗅がせたらどうなるかっていうのをやったことがあったけど、結構びびってるのがわかって面白かった。

姿は見えないけど、相手の大きさとか力量とか自分より強いか弱いかとか、可愛い女の子がもうじきお嫁さんに最適な時期を迎えるとか・・・マァ知りえる情報は色々ある。頻繁にマーキングする理由に知らない場所への恐怖とかというのもある。

理由はともかくも・・・。

人と暮らすことが義務付けられた犬たちに、本能だから仕方が無いという理由はいかがなもんだろう?犬はそこまで馬鹿じゃない。
教えられていればちゃんと約束は守るのだ。

マーキング行動を止められない理由のひとつに、飼い主自身が【排泄】と【マーキング】の違いを理解していないことがある。

犬はやたらにおしっこをするものだと思っているのか、例え室内のトイレでさえもマーキングしている事を『いい子ネェ〜』と褒めてしまったりする(苦笑)

犬は正しく教えられなければ、教えられたとおりに学習し、行動するのだ。

排泄とは膀胱にたまった尿を出すということ。ここがポイントなのは、【たまった】という部分である。
人も犬も同じで、ある程度の時間は膀胱に尿をためておくことができる動物である。夜眠っている時におしっこが垂れ流しにはなっていないはずだ。
ケージに入っていたり、車に乗っていたり、競技等に出ている様に限られた時間の中でたまりすぎて出てしまったなどと言う事は無いに等しい。

犬によって貯めておける時間に個体差はあるが、数時間はどんな犬でも大丈夫である。
頻繁にし続けたり、貯められる時間が極端に短い場合には膀胱等に異常があると考えた方が正解だ。

犬は朝と昼と晩にたまったものを全て排泄をすることが出来れば、間の時間にはそう多く排泄しなければ体に触る(病気になる)ほどの事の無い動物だ。
人間だって水をガブガブ飲んだとかじゃない限り、1時間ごとに大量に排泄するかと言ったらそんなことはないのと同じである。

4・5ヶ月の仔犬だって1・2時間は十分大丈夫なんだから大人になっているのなら?ねぇ〜・・・。

そういった犬の体の構造上のことを前に置けば、それ以外の物はマーキングだと知ることができる。
足を上げることだけがマーキングじゃなく、オスでもしゃがみながらする子もいるし、自分はココに存在しているんだぞという縄張りの確認のための作業だから、雄も雌も関係なくマーキングは行うのだ。

ちょっと恐がりだったり、自信が無かったり、飼い主に絶対の信頼が無く不安を持っていたりするとなかなかマーキングをしない子もいる。
排泄自体が出来ない子だっているが、それは信頼できて安心できる人がそばにいる事か、犬自身が自分に自信を持つようになれば自然な形で行動は起きる。

マーキングで出す尿の臭いは結構きつい。少量でも残るような臭いで無ければならないからだろう。
お散歩が排泄の時間でないのなら排泄を済ませてあればそう多く量が出ることもない。どうしても外でさせるのなら人に迷惑がかからない場所まで我慢させて、現地に到着したら排泄を促すことが必要だと思う。

もともと、子犬のうちから排泄を人からの要望でできるようにしておくととても楽だ。この教え方は後で書こうかな(^_-)-☆

マーキング・・・これをさせないようにしたい我家は犬がある程度成長し、外に対して恐がったり不安がったりしなくなったらすぐにマーキング自体をやめさせていく。でも全てを絶対禁止にしたら犬としての本能の部分をねじ曲げてしまうようで気の毒なので、自分がココなら多少は良いかなと思う場所に来た時だけ開放という形を取らせている。

それ以外はかけようとしたらやめさせられる。

言葉が理解できていれば事は簡単である。
『ココは駄目』といったらかけようとする行動をやめるからだ。

もしまだ言葉の理解がおぼつかないうちには言葉も掛けて行くが行動でかけないようにかけたい場所から遠ざける。犬は目標物があってマーキングすることが多いのでそのものに近づけないと上手く行く。

犬と一緒に歩いているときは色んな事をおしえる仔犬から成犬になるまでの間はよ〜く観察しながら行かないと、見逃してしまうことは多い。
出来るようになった子は安心して目を放しても大丈夫だから、チャンスを逃さないようにするのが一番だ。

排泄なのかマーキングなのかの違いをよく理解して犬に伝えることはもっと大切!(^_-)-☆
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2007.10.27 Saturday

応用と工夫

飼い主が気がついた時には引っ張られるようになっていて、あれよあれよと言う間に他の犬と見たら吠え掛かるようになった犬の修正をしている。

ようやく歩いてくる犬を見ても過激な反応がなくなってきたらしい。
横につけて歩くようにアドバイスしているがなかなかリードが張らない状態で長い間歩けるようにならないらしい。
過激な反応が出たときの対処にリードを短く持つように行ってきたが、少々緩めたらどうなると聞くとまだ前に出て行くそうだ。

声をかければ見上げて横にいるけれど、歩き出すとまたひっぱるのだそうな。声をかけられるのは嫌いじゃないらしい(笑)

リードを引いたら声をかけて戻らせるとか、チョークなのだから歩くのに夢中で聞こえていないのなら人が肩を叩いて合図を送るようにリードでちょんちょんと合図を送って声をかけているんだよと伝えてくださいと頼んでいる。ついてとか好きなコマンドで良いからちゃんと横にいてねと伝えないとねと言っては見るが・・・ここら辺はマニュアルじゃないので応用にあたる部分だ。

実際目の前でやっている姿を見れればどうにでも修正して上げられるけど、見れないから時間がかかる。

名前を呼べば嬉しそうに振り返って見上げる仔は、その瞬間だけでなあに?と聞くけど用事がなければ顔を見続けて歩くこともないのだから、又歩き始めると引っ張ってしまうのは当たり前で、教えている内容が違っているからに過ぎない。教えられていないのだから自分にとって都合の良い行動をとるわけで、『ついて』の意味なんか犬は知ったこっちゃないノダ(笑)

つまり要求していることと犬に伝わっている事が違っているだけなのだ。

犬に声をかけられたら顔を見てくれるのが良いことなんだよと教えているから犬はちゃんと答えている。犬は正解を出しているじゃん(笑)
アイコンタクトし続けながら歩いてくれという要求ならそれを維持し続けていけば犬は理解する。目線を外したらすぐに名前を呼んでまた目を合わせ肯定し続けていけば・・・おやつでも使えば効果覿面だ。

でも、一緒に【前を向いて引っ張らないで歩こう】というのが目的なら、顔を見上げるのは要らない部分だ。飼い主を引っ張らないで歩こうと言う事と、歩くときは人の顔を見続けろというのは要求が違っている。

私は引っ張るようになった仔に引っ張らないでと教える時は名前を使わない。
必ず引っ張ったら【禁止に当たる言葉】もしくは【要求している行動の言葉】を使う。(【ついて】とか【ヒール】とかコマンドは何でも良いんだけど【前にでない!】とか【駄目】とか【アトへ】とか)そしてその言葉と同時に前に出たものは後ろに下げる。

横についた時に『ソウ!』と肯定する。言葉は何でも良いけど、肯定していなきゃならない。『いいこぉ〜』とか『GoodBoy!』『YES』とかエトセトラ。
自分が使いやすい物を使うことだ。私は回数を多く褒める為に一番短い言葉を使っている。

禁止や否定の言葉を1回使ったら肯定の言葉は10倍くらいは必要だ(笑)
褒めて育てろっていうのはそういう意味なんだよね。

最初の内は速度をあわせるようにして『ソウ!』の言葉を続けて出せるようにする。『そうそう、そうそう、そうそう』2・3メーター歩くうちに6回褒めてる(^_-)-☆

犬に伝えることは簡単なことでも複雑なことでも、最初から完成形まで考えずに途中経過を大切にした人が勝利者になると思っている。如何にちゃんとやっている行動の時にそれを肯定しているかが鍵だ。

犬は単純だから褒められると結構気分よくしてこちらの要求を呑む生き物なんだ。こういうのは利用しなくちゃネェ・・・(^^ゞ

引っ張ったら横につかせる。その言葉どおりに犬を引き釣り回し続けてもいいことなんか一つもない。駆け引きが重要なわけだ。リードが緩んでいれば無いも同然。そうした感覚が大切だと思う。

勿論なかには人の言葉なんか聞く意思なしというツワモノもいるので、コウいう子になっている場合には私は多少強制をかける。赤ちゃんに教えるやり方でご機嫌を伺いながらこちらの思うように誘導する作戦じゃ、もう見透かされちゃってるので無理だからね。

『あんたの言う事は今は聞けない!私のいう事を聞かなきゃならないんだよん!』でも何もこわ〜い顔をして睨み付けてやることでもない。
ニヤニヤ笑って「『はい、行きましょ〜!来ないと苦しくなっちゃうよ〜!』と、つんつんと引っ張ってやる。フツ〜にね(笑)
それでも来なかったら来るのよ!と多少ぐいっと引くこともある。勢いがついて数歩でも歩けたら『そうそう!』と褒めればいい。

人のいう事を聞かなくても良いのだと覚えた犬ほど、最初の内だけ強力に抵抗するもんだ。でも土台が間違っているんだから直すしかない。

土台を直す作業が一番大変なことだ。建物が建っちゃうとなおさら直しにくい。最後は土台を崩す為に作り上げたものを壊さなくちゃならないことだってある。そんな大変な作業はごめんだから土台作りを真剣にするんだけどね(^_-)-☆

自分がやりやすい方法の中で楽に犬に伝られる方法が一番である。
通り一遍等の方法論じゃなくて、この子ならこうしたら聞こうとするかなと考えて実践することが大切だ。
そして多くの失敗を重ねた中に応用が生まれ工夫が出来るようになる。

失敗はして見ないと解らないものが多い。失敗した人たちが口をすっぱくして知らせても、失敗だったと知る日が来るまで気がつくことはないのだから。

犬のしつけは失敗の繰り返しの中から本物が見つかる。
大いに失敗はするべしでそうして自分なりの応用と工夫ができるようになるのだろう。
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2007.10.25 Thursday

子犬の育て方の話その2

飼い主への集中力がある仔はいい仔になる。
でも執着心と集中力は違っている。

執着心を育ててしまうと依存症みたいな子になったりもする。

ちょっと恐がりだったり、俗に言うシャイだったりすると、飼い主は子犬に必要以上に気を使い本来ならできるはずのことを真綿にくるめてできないようにさせて育ててしまうだろう。

いつもいる部屋から出てしまうとついて歩き、果ては置いていこうとすると泣き喚いたりする子もよく見かける。

1頭で飼うような場合にはそういう事が多くなりがちである。

これも先へと発展させない飼い主側に問題がある。
ドアを出る時にとりあえず待っててねと声をかけ、一度はドアを閉める。
子犬がなく瞬間の前にすぐにドアを開いて待っててくれてイイコだったねと褒める。締めてすぐに開いても最初はその方が良い。鳴くまでに時間をかけないほうが犬は受け入れやすいからだ。
その待たせる時間をほんの1秒くらいづつ長引かせていけば良い。
毎日毎日繰り返された作業は自然と犬に理解を深めさせることに繋がり、お散歩の時と同様に我慢比べであり、犬に勝たなければならないのである。

犬の理解はドアの外に飼い主がでる⇒帰ってこない、置いていかれたと言うものが多い。
それなら飼い主がドアの外に出る⇒ドアは閉まるが開いた時に良いことが起きる。に変えれば良いのだ。
ドアを閉める時に仕事を言いつける。『待っていてね』という仕事だ。

犬は我慢強い。そして気長な生き物である。捕食動物特有に獲物を獲る為に長く待つことが出来る生き物なのだから。

お散歩などで恐がったら抱くのは当然である。でも抱き続けてしまうのは問題である。
最初の1日目は一度も下におろさなくても良い。でも次の日は一度は下ろしてみる。恐がったら抱いても良いが一度も下ろさないままでは駄目なのだ。
つまり経験できないままにしてしまうから。
一度下ろして恐がらないなら少し歩く努力も良いだろう。恐がるのなら又抱けばいい。
その繰り返しの中で下に下ろしてみる回数を確実に増やして行くことが飼い主の役目となる。これもまた我慢比べだ。

下ろして固まるのなら少しだけようすを見て又抱き少し場所を変えて又下ろす。この繰り返しの中から子犬は周りの状況を判断し恐怖だけではなく興味をわかせ、そばにいる飼い主が要れば何も問題は起きないこと学習する。

それを先を急ぐ事でそばにいる飼い主が要ると危険であるという認識をつけてしまえば思うように先に進まないのは当然だろう。引っ張られたら絶対に危険だ(苦笑)

犬を育てるのに必要なものは時間と、根気である。この二つが整う人なら時間はかかっても必ず飼い主の言う事を理解しこちらの望む行動をしてくれる子に育つ。

経験や技術はその先に使えるものであって、犬に使える時間がなかったり根気がなくかんしゃくを起こしたら犬は信用してくれない。
そして一番大切なものは犬という生き物と生涯をともに暮らして行くのだからこそ、犬とはこういう生き物なのだなぁという寛容な心だろうと思う。

一日は24時間ある。1週間は7日もある。1ヶ月は30日もある。
人の過ぎて行く時間よりも犬の過ぎて行く時間は早い。

人は3年たってもまだ幼児である。犬は3年たったら心も体も成犬だ。

のんびりゆっくりもかまわないが、確実に先に進まなければすぐに別れの日が迫ってくる。少しでも良い関係でいられる時間を長くする為に、私は子犬の時間を大切に使っている。
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2007.10.24 Wednesday

子犬の育て方の話その1

予防注射が終って、さてお外解禁。
念願だった愛犬とのお散歩デビュー!が・・・そう上手くは行かないんだなぁ・・・これが・・・(笑)

動かなくなる地蔵犬あり、挙動不審の最高潮っていう子犬もいる。ガタガタ震えちゃったり、地面に下ろしたら抱きついてきたり・・・犬を見たらとたんに吠えたっていう子も知っている。

ウ〜ンこんなはずじゃなかったんだよなぁ・・・って私だって最初の子犬育ての時はソウ思った。

なだめたりすかしたり、おだてたり、抱いたり、人によってはおやつは出るわ、おもちゃは出るわ(苦笑)ああだこうだと策を練ってようやく歩くことに成功する。勿論最初からイケイケゴ〜ゴ〜っていう子のほうがうちでは多いんだけど・・・固まられたことも何度もある。

ようやく歩いてくれるようになったその日から、我家はもう次のステップに入る。だって歩くんだから、もうその次に行っても良いはずでしょ?(^^ゞ

我家ではお散歩で歩くようになるとリードは引っ張らない(人間が)という約束を作る。
それは子犬の時からチョークを使う事で引っ張ったら首絞め状態にされてしまったり、そこまで行かなくても長い間圧力を掛けたままにしてしまうからだ。

引っ張られていること、首に圧力がかかっている事が平気になってしまうことは絶対に避けなければならない大きなテーマのひとつだ。

これは胴輪だともっとである。首が絞まらない分子犬の動きは自由に等しいからだ(^^ゞ

チョークリードの使い方がわかっていない人は合図を送ることが出来ずにぐいっと引き寄せてしまうからやっぱり首が絞まって、人の言葉なんか聞こえたりしなくなる。
合図はちょんちょんとするんだよと教えるととたんに引き寄せてしまうので、呼び戻すように言うんだけれど・・・。

胴輪の時は首が絞まらないんだから引っ張られても、自分の前になんか絶対に出させない。先に行ってしまうのなら立ち止まって呼び戻し、来たら歩く。来なけりゃ歩かないを決め込むことだ。

自分の横に来て歩くなら1歩だって10歩だって必ず上手だネェ〜って褒めて行く。横にいたら優しい声が聞こえ、先に行くと立ち止まられた上に呼ばれるのだから、子犬は徐々に横について歩くようになる。

ここら辺はかなり時間がかかっても良いことだ。だって一番肝心な事だから(笑)

リードを引っ張らないでお散歩させようって言うのは、犬を引き寄せないと言う事であって、犬が行きたい方向に紐が張ってしまうから付いていかなければならないと言う事ではない。

何もかもが新鮮で興味のある子犬に、「ねぇねぇ、こっちにおいでよ!』と呼び込んで自分の横に越させれば良いだけである。
来たら歩く、先に出てしまったら又呼んで横に来るまで子犬と見えない形で戦うわけだ。(^O^)/

この戦いに勝ってこそ(苦笑)飼い主の飼い主たる主導権を握れるのだが、大方はここら辺で言葉どおり、紐がピンとならないように子犬について歩いていくか、もしくは適度な張りの状態を続けてしまう事で、結局はお散歩係と子犬に決められてしまうんだろう。

3つ仔の魂百までというのは何も人間だけじゃなく、犬だって当てはまる。
1歳までに人の言葉を聞く意思を持ち、行動に移す犬におおよそなるとしたら、訓練の脚側行進などは出来ていなくても、飼い主のそばについて楽しいお散歩が出来る犬になっている。

他の犬や人に吠え掛かったり、知り合いの人が着たからと飛びついて行ったり、犬が行きたい方向にぐいぐいと引っ張って歩くとか、やたらめったらあちこちにマーキングなぞはしないでくれるわけだ。

ちいさな子犬の内には見えなかった問題が大きくなってくれば発覚するのは当然である。

子犬育ては1歳までが肝心。

毎日繰り返されるお散歩という決められて使われる時間の中に飼い主との関係を作る大切なものを、飼い主自身が気が着かない中でも繰り返されて習得させられているという現実である。これが間違っていればそれなりの答えを犬は返してくる。

『ねぇねぇココにおいでよ!』と声をかけたところで聞かない振りやら聞こえちゃいないってことになっているのはたぶん教える側に我慢が足りないんだろう(苦笑)
我家では人と一緒に歩くんだねと理解させるまでに何度家の門の前で行ったりきたりをくりかえしたか知れない子犬だっている。いつもの公園まで行くつくのにどれほどの時間を使ったか?
十数分付き合って家に入り、又しばらくして門の外に出て・・・暇人としかいえないような気長な時間をかけた子もいる。
でもそれが後から大きな答えになって帰ってくるのを知っているからあせったこともない。

大きくなって引っ張られているのに、良い感じに元気にお散歩してると錯覚したままでいたら、そのうちこちらがこうして欲しいという要望を出したところで、彼らからしたら毎日自分についてくるお散歩係の分際がなにやらしゃべっているようだが?くらいなものなんだろう。それじゃぁなぁ・・・私は犬と暮らしている楽しみが半減しちゃうなぁとおもう人間なのである。

犬に人サイドに都合よくしてもらうために必要な事柄は何も厳しく言いつけることとは限らない。如何に気分よく楽しく・・・それが意識的にではなくてもなぜかしら人間様の都合にあわさせられているって言うのが理想的なのだ。

子犬は可愛い、そしてとても単純である。
だからこそ、嬉しい思い、楽しい思いは大切なごほうびになる。基本的におやつを使わないでしつけている私はおやつの魔力に勝つ自信がないからだ。
我家のご褒美の代償行為はおやつ以外の彼らの望むことになっている。

撫ぜられる事が好きな仔(殆どがそうなのでかなり楽である)はイイコだネェ〜と言葉をかけながら撫ぜているし、時と場合によれば充分に遊んであげることも必要だろう。そのときにも物は使うことはない。
おやつもおもちゃも・・・

人を好きになって欲しい時期だから、あえて何かを教えている時におもちゃや食べ物を使わないで過ごすのだ。

あの小さな頭で語りかけられてくる自分たちの種族とは違った言語の意味を彼らは正しく伝えられればおおよその行動に繋げられるように理解できる。

でもそれはひとえに飼い主サイドの問題で、教えなければならない症候群に陥った人ほど上手くいかなくなるのかもしれないなぁと思う。

手っ取り早くおやつはおもちゃを使っていろんな事ができるおりこうさんに仕立てたつもりが、ゆっくりのんびりたくさん抱きしめてあえて代償を物や食べ物にしないまま仕立てた子のほうがずっと人が好きで注目し、集中力が持続する子になった。

犬育てにはコツって言う奴があるけれど、基本は犬に何を求めるのかと言う事に尽きる。
私の場合、犬に頼られる存在でいなければならないと思っているし、そうして上げる事で彼らの精神を安定させ、守られている実感を持たせ、信頼されている存在になれるのだと思う。
お手伝いさんやお散歩係やご飯の調達係に格下げされたくはない。

犬にリーダーは必要だ。でもその前に私は彼らの母親である。
だから彼らには私の子供であって欲しいと願う。
ある意味では親は子供のリーダーであるだろうしね(^^ゞ

ある一定の自由を与える為にルールを作り、それを守らせなければならないのだから、長い時間を幸せに暮らすためにも私の言葉を理解できる子に育てるのだ。
生まれてきたそのときから子育ては始まっている。命を託されたその日から立ち止まる時間はない。日々の成長に合わせてどんどん次のステップに正しく進ませなければいつまで立っても暴君の子犬のままだろう。

ゆっくりのんびり寛容な心で・・・でも確実に進歩させて行く。
子犬は毎日成長し学び続けていくのだから・・・
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2007.10.18 Thursday

修正をかける。

犬との付き合いは彼らを理解できて始めて無理が利く。

1年から1年半の時間をかけてゆっくりのんびりなんだけど、自分を好きにさせる為に彼らそれぞれの個性と持って生まれた性質を尊重して、それぞれに相手を理解して行く。

音に弱い子もいるし、圧力に弱い子もいる。状況の変化への対応が遅い子もいるだろうし、な〜んにも考えちゃいないような脳天気な子だっている。
いばりん坊もいるし、実は気がちっちゃい子だっている。

人の子と同じだ。

でもどんな子でも、関わる相手を好きになってくれているとそこそこ大人に成長していれば毎日の生活の中で掛けて行く少しづつのストレスに対応できるように育っていて、『さぁ、そろそろ真面目に学んでもらおうじゃないですか?』という時には結構強い圧力も大丈夫になってくれるのが、犬ってスゴイ対応力なんだなぁと感心する。

子犬の時からあんまり良い仔にしようと躍起になって育てた覚えは殆どない。
やった子は失敗した経験ばかりだ(苦笑)

つまり我家は早期教育は不得手なスタイルだと言う事だろう。

納得すればその道で先は開けてくる。

ゆっくりのんびりでも、確実にステップアップして行くのが進歩って言うものだと思うから、逆行だけはしないで登っていく為に小さなことから修正をかけ続けてその子のPerfectを引き出したい。

最初から最後まで教えたことが確実に出来るようになったからと言ってその後ずっとできるままでいるはずがない。
人も犬も同じ。自分をこれでも良いよねと甘くしたらその位置までまた落て行く。
白黒をはっきりした繰り返しの強さの賜物を自分は良く知っている・・・。
灰色に変えて行く恐さの重大さを誰よりもよく知っている。

それはどちらも人がすること。

だから私は犬たちを毎日見続けてそのたびごとに彼らから答えを聞き続けて修正をかけているのかもしれない。
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2007.09.14 Friday

天罰の話

池の鯉を眺めていたら傍にすすっとパフィーが来た。

急にパフィーが池に落ちたときのことを思い出し、そういえば君はずいぶんあの頃に比べると良い子になったものだねぇ〜と頭をなぜる。
書き損ねたであろう昔の日記をテキストで残したものの整理の途中にその時のことがあったので貼っておこう。



犬は自力で学習する部分もあるが他からの力が必要なものの方が多くそれは人と暮らすルールを教える場合にはとてつもなく多くなる。

自力で学習するといえば少し前パフィーは玄関から飛び出てテンションが最高潮に達したまま庭を駆け抜けた末に勢い余って池に頭からダイビングした。

私たちからしたらあっという間のことでどうしてやることも出来ない不可抗力によるものだった。

パフィーにとって危険な池だからと埋めるわけにも行かない。
パフィーを伴ってココは危ないんだよと話して聞かせて教えた所で幼い頭に理解することは不可能だ。だからと言って無理やり池に落として学習させるほど私たちは無慈悲ではない(笑)

『危ない!!』という悲鳴に近い人の声を聞くか聞かないかのうちに彼女はあまたから池に落ちたわけだが、彼女についた学習は『危ない』という言葉の時には止まらないととんでもない事が起きるという認識がついた。まさに天罰(苦笑)

『待て』とか『いけない』とか言う禁止のコマンドに加えてパフィーには『危ない!』というコマンドは自身の行動を止めると学習がついて非常に便利になった。(苦笑)

面白いもので小さい声で「あぶないよ〜・・・」というと走り回っていても必ずスピードをおさえる。そして周りに注意深くなる。神様からの天罰はパフィーに生きるための大きな学習をもたらした。

勿論パフィーが池に落ちた後、私たちは大騒ぎしてパフィーをバスタオルにくるめて『かわいそうに』『大丈夫だった?』といたわりの言葉を掛けて目をぱちくりしているパフィーに「すごかったねぇ〜、ビックリしたねぇ〜」と笑ってほお擦りし、充分恐怖感を取ってやったことは言うまでもない。

一体何があったんだっけといぶかしがって池の方に確認しに行くパフィーに「危ないよ〜」と脅かしをかけたことは言うまでもない。
こちらを振り向きながら尻尾を上げてなんだよふん!といいたげなパフィーの態度は笑いを誘い、たいした事はなかったという感覚もあっただろう。

池は動かない。突っ走ってブレーキがかからないほどテンションをあげた事がまずかっただけだ。
今日は同じパターンを踏みそうになったパフィーは窓から見ていた私が「危ない!」といったら急ブレーキをかけて前足を突っ込んだだけで止まる事ができ、得意そうに「大丈夫だったわよ!」と私のほうに戻ってきた。
その内声がかからなくても池の前ではスピードを下げていくことだろう。

犬に学習させると言う事の一例である。
天罰方式とかもあるけれど、如何に意図的であるものを犬には意図的でなくイメージに結び付けるかは飼い主の腕の見せ所であろう。
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2007.09.13 Thursday

リーダーに必要なこと。

犬と暮らす時にリーダーになることが重要だって言われている。
私もそれには深く同感。でも・・・実際にリーダーになるってどう言う事なんだろうって思った人も多いはず。

私もそのうちの一人で、リーダーにならなければと思っているうちは上手く行かなかった過去がある。
リーダーになるって言うのは実は自分がなろうとしてなるというよりも、従う側がこの人は自分にとってリーダーであると、ついてきてくれるからなるんじゃないかなと思うのだ。

そう考えるようになってからの方が犬との関係はうまく行くようになった。

偉そうに威張ったって駄目だし、厳しく諌めて圧力を掛けても駄目だし、本とかを読んで勉強してもお偉い先生のセミナーに行って貴重な話を聞いたところで、「リーダー」になるってどう言う事なのかわからないまま時間が過ぎた。

先日セミナーでPRIVATEな時間の時にそんなリーダーと言う事について話をしているうちに、自分と同じようにまだリーダーになれていない事は解っていても、ならなければならないリーダーがなんたるかが解らないもどかしさがヒシヒシと伝わってきた。

私の説明は回りくどく、良く聞いてもらえないと勘違いされやすいのかもしれないが、まずどんなものがリーダーなのかという概念を聞き出してみる。

統率力がある。正しい判断が出来る。平等である。意志が強い。力がある。仕事が出来る。
などなど・・リーダーに求められるべき概念は本当に多い。

では自分が従えるとしたらどんな相手であるかと考えると、最終的な一番重要と思う答えは、最初のリーダーの概念にピタリと合う物がない事に気がつく。

つまりどんなに素晴らしいリーダーの資質を持った相手であっても、自分が従うとしたらまず一番重要なことは自分を理解してくれているかと言う事になってしまうからだ。
自分を理解してくれないリーダーには最初の内こそ形的には従えても信頼感は生まれないし、ある一定の時間が過ぎたり、経験を重ねて行くうちに拒否反応さえ起きてしまう。それは行動を共にすればするほど、過ぎる時間が起こす経験から学ぶもので、理解されていない喪失感は従う意思すらなくさせるし、やり遂げようとすることに興味すら失うし、酷い場合には反発まで起こさせるのだ。

逆にリーダーが自分を理解してくれている実感があれば、多少の無理もいとわないで実力以上に頑張れるし、結果をリーダーが喜ぶことに自分自身も満足感が起きる。

知能の高い人間が結構単純に自己中心的な部分も踏まえてそんな感情があるとするなら、犬も同じじゃないかと思って付き合ってきている。

結果は我が家の場合はほとんどそれで何とかなっている。
相手を理解することが最初は必要で勉強も(カーミングシグナルなどは特にね)たくさんしたけれど、最終的には理解することが多くなればなるほどもっと知りたくて観察に余念がなくなる。
知識よりも経験が優先されるようになるのは解明されていない部分が多すぎるからだろう。
解明されているものだけで判断したらまず理解できないから・・・

犬の表現を見てあげられないと犬は理解できるようにはならない。
最初は想像からで良い。こんな感じに思ってるのかな?今こんな気持ちじゃないだろうか?自分だったらどう思う?・・・

嬉しいとか悲しいとか恐いとか寂しいとか大きく分けられた感情表現はいくらでも本などからの知識で間に合うが、もっと複雑な表現を見逃さないようになるのには興味を持って犬を見ていなかったらつかめない。

誰でも、どんな(年齢・性別などなど関係なく)人でも犬という種族の違う生き物と暮らすようになったらやっぱりリーダーにならなくちゃ上手く暮らせない。

彼らのリーダーになる為に必要なことはまず彼らを理解しようとする心を持つことからだ。それが全ての始まりで、全ての答えなのだと思う。

。。。これって人間のリーダーもたぶん同じだと思うんだけどね(苦笑)
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2007.08.14 Tuesday

パパのセカンド

このたび、我家のパパさんからダッシュ君の二代目として「セカンド」の称号をレナ嬢がいただくことになった。

パパってフツ〜の人なのに、なぜか性能高い子選ぶんだよね・・・。それも良い感じに解るようになったあたりで「俺の犬にする!」と断言するわけよ・・・。

最近レナは少し大人になってきたので聞き分けもよくなってきたし、色んな技も面白がって教えてきた分できる子だ。そのうえパパが大好きな「バッタン伏せ」は決定打になったようである。

レナ1

真面目に手がける子をサンダー以外にロックにしようかレナにしようか悩んでいるうちにやられたって感じ。
どのみち・・・レナのしつけは私の管轄に入ったって言う事で、ダッシュのようにパパがどこでも自由に連れていけるスーパードッグにしなきゃならないプレッシャーはかなりなもんである。

うちのパパさんは犬の気持ちを汲むのは天下一品だけど、土台犬のしつけとか、はたまた歴史やら行動学やら心理学とかまったく興味のないお方だ。ただただひたすら可愛くて、その代わりに思ったように動き、自分しか見ない犬を求めている。

レナの持つ性質を考えればやりようによっては早いうちにそれは開花するだろう。でもほおっておいたら無理な話。
そろそろ彼女も1歳になる。体も十分出来ているし、ロックと一緒に育ってくれたせいか精神的にも充実してきたようなのでちょっと早めだけどトレーニングしようと思う。

犬のしつけと、トレーニングはちょっと意味合いが違っている。

しつけって言うのは一緒に暮らす中に生活上支障のないことを教える事で、それが出来た後にトレーニングは始められる。
うちではこのしつけに1歳から1歳半くらいまでの長い時間をかけて、飼い主との関係を深めつつ、けじめをつけて誰がリーダーなのか、犬自身がどう振舞えば良いのかを学習させて行く。

この期間は犬の成長は著しくて、生後2ヶ月から1歳までを、人間で言う2・3歳児から小学校高学年程度までの10年位に当たると考えて接して行く。

多くの場合、この一日しい成長に見合った学習をさせていかないせいで、いつまでも赤ちゃん扱いをしてけじめ(良いことといけないことの区別をつけること)を付けられないまま体は大人になってしまうことが問題なんだろうと思う。

通常半年にもなれば、体のどこを触っても大丈夫になっていてくれなきゃ困るし、おりこうだネェ〜と褒めれば喜ぶようになっているし、「駄目!」と言ったらやっていることをやめられるようになっている。
まだお子ちゃまだから、遊んでいて興奮してしまうと「もうお仕舞い!」と遊びを急に止めたりすれば大人のように「わかった」とすぐには言えず「何でだよ〜!」と言ったりするくらいのワガママはあるが、強い調子でもうやめたのだと伝えれば素直に受け入れられるようになる年齢である。2・3ヶ月の子犬はそういうわけには行かない。つまり伝えている内容が年相応であれば良いのだが、いつまでも2・3ヶ月の子犬のつもりで教えていると偉いことになってしまう(笑)

つめきりで大暴れしちゃったりとか、呼んでもこないとか、抱かれて暴れるとか、ブラシが嫌いとか、吠えるのをやめさせられないとか、人を追いかけるとか・・・本当は6ヶ月くらいにもなっていたら間違って教えていなければ犬は飼い主がこういう子になって欲しいと思うように育っていく。

しつけとは普段の暮らしの、毎日繰り返される様々な事柄の中で学ぶもので、決してトレーニングとは違う種類のものだ。

ようやくその時期を脱した感のあるレナちゃんに白羽の矢が当たったのは当たり前だといえば当たり前なのかもしれない(苦笑)
キャピキャピのギャルがパパのセカンドになるためには幾つか必ず守らなければならない掟があるのだから、精進して覚えていただくしかない(笑)

本日よりレナ様特訓開始と相成りました(^O^)/パパの協力も必須なので来年にはベストパートナーと言われるようになることを期待していまっせ
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