<< シェリーと陽 | main | 杉並犬猫病院改め…。 >>

2008.08.10 Sunday

究極を考えると?

動物愛護を考え始めると究極は肉食はどうよ?ってことにまで行ってしまう。
もっと先まで突っ込むまら、生き物すべてを想定することになって、植物すら生きているとなってしまい、人は食べることができなくなってしまう。

植物ですら空気と水だけで生きているわけじゃなくて土中に存在する栄養分を吸収して育つわけだから、この地球に生まれた以上ある程度はやむを得ないわけだ。

で話を元に戻して、植物はOKだけど、肉はねという考え方。多くは畜産の現状に問題があるとは思うけれど、単に食べるということについて考えると、これはもう進化の過程で学習してきた遺伝子を持っているのだからどうしようもないというのが答えじゃないかって思う。

人間も究極まで血をさかのぼるとアフリカの1女性にまでたどり着くのだそうだ。つまり、アダムとイブを探すとちゃんといるってことだ。
でもその祖先の前にはもっと分岐した多くの種族がいて、今の人類の祖先は彼女が生き残ったからだという部分で終わってしまう。

その先をさかのぼるとなると、結局は自分たちの子孫がチンパンジー等の類人猿と分岐するところまで行くだろう。

で…そのチンパンジーとのDNAの一致度は98%というのが現代人である。
チンパンジーと言えばバナナとかリンゴっていうイメージで肉食とはほど遠く感じられる。草食だと認識している人も少なくはないだろう。

でも事実は違う。チンパンジーは雑食性で、実は人の子供を食べちゃったっていう例も数多くはないが存在している。
彼らは果物をよく食べてはいるが、実はその生育地域に存在する小型のサルを捕食しているのだ。サルをね…小型だけどね…。もちろんサルだけじゃなく捉えられるものはとらえて食べちゃうのね。肉を…。

この事実がチンパンジーの観察から発見され世界に発表されたのはまだそんなに昔のことじゃないので知らない人も多いかもしれない。

でも…。大昔から受け継がれた肉食の遺伝子は人間の中にも受け継がれてきている。これって逆らってもどうしようもないことじゃないかって思う。

草食獣を家畜化し、堵殺し食する。これは大脳が発達し考える力が生み出したもの。この方法をどうするのが人間らしいのかは変えられることができるけど、肉を食べないのは難しいと思う。

誰の言葉だったか思い出せないけど、「いただきます」という言葉の意味は「あなたの命を私の命に代えさせていただきます」という感謝の言葉なのだそうだ。
だから出されたものはちゃんと残さず食べなくては罰が当たるのだと昔親によく言われたのはそのせいなんだろう。
植物の場合にも、ご飯が食べきれないでもたもたしていると母親に「ご飯一粒も残しちゃだめよ。お汗水流してこのお米を作ってくれるお百姓さんに感謝しなさい!残したら申し訳ないでしょう!」と叱られたことを思い出す。

飽食の時代になって、大金持ちのどなたかは超高級ステーキを焼き真ん中のごく一部分だけ食べるのだとテレビでやっていた。それをあたかもうらやましがったりする今の風潮にはついていけない。

お金があればそんな無駄なことをし、殺された命に申し訳ないことをしてもいいのかと腹が立つ。それは紳士じゃない。

鳥インフルエンザになって焼却処分のなった鶏も、狂牛病になって処分された牛たちも、保健所に飼い主によって持ち込まれ殺されていく飼い犬たちも、みんな人間がやっていることだ。

究極を考えれば自分が何をできるかわからないけど、せめて愛らしい瞳で見つめてくれる犬たちのことで何かできないかと動いてもいいんだと思っている。
にほんブログ村 犬ブログ シェルティーへ 人気blogランキングへ ブログランキング参加中 ぽちっとよろしく♪

Comments

Comment form