2009/11/22 Sun

Category: つぶやき

<腎臓再生>

こんなニュースがあった。11月22日yahooニュース毎日新聞より

<腎臓再生>ネコの体内で ブタの細胞利用し 人工臓器に道
さまざまな臓器になるネコの「間葉系幹細胞」を、ブタの腎臓の基となる細胞「腎臓原基」に注入し、ネコの体内で腎臓の組織を再生することに、自治医科大や東京慈恵会医科大などの研究チームが成功した。尿の生成も確認した。ネコの代わりに人の細胞を使えば、病気の腎臓に置き換える人工臓器作りに役立つ可能性がある。

 間葉系幹細胞は、骨髄などに含まれ、血管や筋肉などになる。この細胞は人にも存在する。

 実験では、腎臓原基(約1ミリ)を、妊娠中期のブタの胎児から取り出した。それにネコの間葉系幹細胞を注入、片方の腎臓が摘出されたネコに移植した。すると、4週間後に腎臓原基が8〜10ミリに成長し、ネコの血管が通った。また、血液をろ過する糸球体や尿細管も形成され、尿がたまったことが確認できた。

 ブタの臓器は人の大きさに近い。中国やメキシコなどでは、インスリンを分泌する膵島(すいとう)がブタから人に移植されている。研究チームの小林英司・自治医科大客員教授は「ブタの腎臓原基がネコの臓器再生の足場になり、臓器形成に近づいてきた。日本での臓器移植の実施件数は極めて少ない。人工的に臓器を作り出し、難病で苦しむ患者の治療につなげたい」と話す。


腎臓・・・って言うとまだ過剰反応をしてしまう。でもこのニュースは光が指したような部分もある。ミールの腎臓がもう動けなくなったと知ったとき見知らぬ犬の腎臓を一つもらうという決断はできなかった。
でも・・・もしも作り出された臓器として提供を受けられるのだったとしたらその手段を選ばないとはいえない。
体調や年齢や副作用や考えなくてはならないことが山ほどある中でただ単純におなかを開けて使えなくなった臓器を取り出して、新しい臓器と取り替えるだけのことだったとしたら、選択する可能性もあるだろうなとぼんやり考えている。

ブリードをしているとき女の子の中には出産のトラブルでおなかを切ることがある。赤ちゃんを助けるためだったり母体を助けるためだった利するけど、手術後に大きな問題がおきることはあまり無い。【命を助けるための手術】の中には【命だけは助かったけど・・】というものが多いけどそういう手術じゃないものもいっぱいある。。

きっと自分的には高度医療といわれるものの、そこが引っかかってしまう問題なんだろうなと思う。
生き物だからそう簡単にはいかないことばかりだけど、副反応とか長期の投薬とかがなくて、術後に今まで同様に何も代わらない健康がとりもどせるのならという条件が必要な自分だからかもしれない。

でもこうした先進の研究があってこそ救えなかった命が救われるように変化していくわけで、喜ばしいには違いない。この研究が成功し、わたしの悲しい別れの中のジェニーやミールとの時間も今よりもずっと後に起きることだったなら二人とも助かってもっと長生きできていたかもなぁとあの子たちがいたときを思いだしてしまうヨワッチイわたしだ。。。
にほんブログ村 犬ブログ 犬 闘病生活へにほんブログ村

2009/11/06 Fri

Category: つぶやき

どこまでがんばるか?

調子の悪いエリーがいて、その横にはぴかぴか光っている元気いっぱいの子犬たち。生まれもって来た命の重さはみんな同じだ。

でも、どの子もみんな同じ生涯をたどるわけではなくて、神様のいたずらなのか生まれたときから長くない命をもらってきたものもいるし、治る病気にばかりかかる命もあるし、治らない病気になってしまう命もあるし。。。

何のために生まれてきたんだろうかと悩んでしまうような命もあるし、短く終わる命もあるし、長く長くつながる命もある。。。

犬は人と暮らすようになってずいぶんと長生きするようになったのかもしれない。手をかけてやりさえすれば本来ならとっくにつながっていない命もつなげていけることも多い。
まるで人と同じように年をとって自分で食べることもできなくなったとしても、シリンジなどを使って噛み砕けない食べ物もどろどろにして流し込んでもらえる。犬自身に食べたいという気持ちがあってまだ飲み込んでいけるうちはちゃんと命はつながっていくだろう。。。

いろんな経験をしてきてどこまでがんばるのが最良なのか今もわからない。
獣医学は発達し、人と同じような高度医療もお金さえ出せばいくらでもできるようになった。。。

昔から犬は人じゃないんだということを肝に銘じておかなくてはならないと、犬に関わるいろんな人に言われ続けてきた。
大切に思う気持ちはとても必要で、犬だからおざなりにしてもいいという意味ではなく、犬は人と違って寿命が短く自力では生きられない生き物だという意味だ。

安楽死も経験し、穏やかな別れ方も経験し、すがり付いて泣き喚くような別れ方も経験してきた結果に思うことは、どこまでがんばるかは飼い主だけしか決められないのだということに尽きている。

病気の犬の相談を受けて、わたしだったらここまでかなという部分はみんながみんな同じだとは思わない。私がする決断は普通の人にはできないこともあるかも知れないし、もしかしたら私以上にもっとやれる人もいるかもしれない。

一番大切なのはその犬の命を延ばすか伸ばさないかを考えたときに伸ばした結果がその犬は幸せであるかということになってしまうから。苦しみがなく人がちょっと手間なだけならわたしだったらがんばってやりたいと思う。その頑張りが例え最後は餓死になってしまうように伸びてしまったとしても食べられる内だけは食べさせ続けてやりたいし、食べられなくなったからと穏やかに過ごしている友人を眠らせることはできない。

でも、穏やかでいられなく苦しみしか残らないのなら眠らせてやることは飼い主として正しい決断でもあると思う。検査も手術も治療も犬がその後楽に生きられるためにあるものだと思うから、大事な愛犬と暮らすその人が決めたことならきっと犬たちは受け入れてくれるはずだと信じるしかない。。。
にほんブログ村 犬ブログ 犬 闘病生活へにほんブログ村

2009/09/11 Fri

Category: つぶやき

青い瞳のマリン完成で思うこと。

やっとのことで【青い瞳のマリン】を【我が家の犬たち】というカテゴリーに完成した。彼女のたどった私からの押し付けのドッグショーのこととか、マリン2世を夢見ているころ間では公開していたんだけど、ホームページの構成とか、テンプレートとかを変えているうちにページを置き換えるのが大変でおざなりになっていた。一部書き換えて、一部書き足して、一部写真を載せ変えて、何とか見れるかなというところで公開した。毎日の日記のように詳しくは書いていないけれど実はこんなことあったよとかこうだったんじゃないかって思ってるんだという部分は書き足してある。
ミラーサイトになっていた部分を消したので検索に出てくるページは消えてると思うけど、TOPからは飛べるので興味があったら見に来てください。


マリンの事もミールの事も、キャンディーのことも後から読み直すと足りない部分がたくさんある。内容的に足りないならいいんだけれど、特に病気の事を書き綴っている部分では当時に診断された事はちゃんと書いているけれど、その後に解明した事なんかがすっぽり抜けていることがある。

気がつけば少しづつ書き足しているけれど、こういうインターネットを通じての情報は細かい部分まで読んでもらえなかったり、書いているこちらサイドが書き損ねていたりすると情報が間違って伝達されてしまう。

日記のように日々更新し、その日にあったことを続けて書いていけていれば修正もたやすいけれど、その当時にはこう診断されたとかいう部分はただ書いただけじゃまずいと思っている。

そこかしこに修正が入った分は読みにくいと思うけれど、できたら読み砕いてもらえたらなぁと願っている。
ただし、修正していても、獣医さんたちにはとても感謝しているし、違っていたことがどうのこうの言っているわけではないことを理解してほしい。
この先に同じようなことがあったときに、こんな犬もいたんだよなと思いだし、少しでも早く正しい判断の材料として使ってもらいたいだけで書いた。間違った情報のままや、その後にどう変化したのかが書かれていなかったら完成とは言えないと思うから。。。

キャンディーのページ、少し修正しました。

なんでこんなことやるのかっていうと人さまのサイトの情報を私も良く見せてもらっている中ですごく気になることが多いからだ。
それはうちの子はこういう病気なんですっていうのは見つけられるんだけど、実際に本当にその病気だったのかなって思うようなことがたくさんあるから。

その上状態が良くなっちゃったり、実は違っていたんだけどってことがあっても情報はなかなか公開されることがない。間違えられた!と騒ぐことはないけれど、こういう状況だとこういう診断が出てもおかしくないんだなと知るためには書いてあったらよかったのになと思うことが多い。

情報があればそれは自分の愛犬のための一つのヒントになって、そうなのかだったらこうしてみようかという行動の先駆けにもなる。どうしたってキーワード検索が主流なのだし、そのキーワードに引っ掛かった情報しか得られないのがもどかしいけれど、情報さえあれば根性があれば見つけられるから。。。

病院のレベルもいろいろあるけど、相談されても良くわからないから他の病院で調べてもらってごらんと言った後に、結構診断名が違う病気だったってことが良くあったりしている。心臓病だと言われてた犬が実は腎臓が悪かったとか、膵臓が悪いといわれて長い間薬を飲み続けていた犬が心臓疾患だったとか、肝臓が悪いと診断され投薬していた子がリンパ腫だったとか、パルボと診断された子犬は実はただの下痢だったとか・・・本当にまぁまぁ、簡単なものから複雑なもの、どんな名医でも判らないことがまだまだある中で、いろいろあるんです。

病院によってできる検査も違うし、持っている機材も違うし、診断する先生のキャパティシーも違う。その中でたぶん一番正しいのは愛犬が起こしている臨床症状だと私は思うから、いつも疑問を持ちながら対応し続けているんだろうって。。。日々獣医学は進歩し、日々犬の飼い主も勉強次第でいろんなことを理解できるようになっていくのだから。

そんな部分が青い瞳のマリンの闘病日記で伝えられたらいいなぁと願っている。
にほんブログ村 犬ブログ 犬 闘病生活へにほんブログ村

2009/09/10 Thu

Category: つぶやき

病院へ行くと…

不思議なもので、獣医さんは一度行くとなぜか続いていく羽目になる。特に愛犬を亡くした後は落ち着いてくると何かと獣医さん通いが始まったりする。でもそれは、あれにもこれにも過敏になっているせいなのだろうなと思っていた。

でも…実際はそうじゃないかもしれない。

亡くなる愛犬がいるということはその悲しい日が来る前は、日常の生活が普通じゃなくなっている。普通なら見落としたりしないようなことを見落としていたりすることがあるんだろう。いつもなら丁寧にしている手入れだって結構手抜きになっちゃっているよなぁって思う。

マリンが逝ってしまってから2週間にもなるとようやくいつも通りの毎日に精神的な面も、注意力の面も戻ってくる。ちょうど子犬の予防注射があって病院へ行った。

ついでといてはなんだけど、前々からお願いしようと思っていた手術の約束を取り付けてきた。来週やりましょう!ということで帰ってきたんだけどねぇ〜。。。

今日の夜になって、ぎょえ〜!という状況が起きた(/_;)

たぶん優先順位はこっちが先よね。。。
昨日までバリバリ鳥の柄をかじっていたはずのデイジーの顔が頬のところがプックリ腫れている。歯根膿瘍じゃないですか?骨食べてたよね?今まで痛くなかったの?・・・へらへらしてくるデイジーの顔を眺めつつ、とりあえず抗生剤を飲ませた。腫れが引いたところで抜歯を伸ばしていればエリーの時みたいに頬に穴が開くのは必然。

明日また病院へ行かなくちゃ。抜歯は来週かなぁ?腫れが引かなかったらすぐには抜けないだろうし、この際口の中全部綺麗にしてもらおうね、デイジー。。。

急ぎじゃない手術のほうはデイジーがが落ち着くまで延期です。
にほんブログ村 犬ブログ 犬 闘病生活へにほんブログ村

2009/09/01 Tue

Category: つぶやき

これからは…

マリンが逝ってしまってあんまり書くこともない。

思い返せばこの日記って犬たちが元気だった時は見事に止まっていたからだ。

病気が発覚すると、確かに不安と闘いながら書かなくてはいられないような状況で書きなぐっている節もあるし、時間が過ぎて見直してみた時にあぁこんな感情だったのかとかこんなこと考えていたんだとか、たぶんもう思い出せなくなっているような部分が残っていることに意味があるのかもしれない。

大きな柱だったキャンディーとマリンとの歴史が閉じられて、ふと振り返れば二代目として始まったダッシュとレインも老齢期に入っている。ダッシュは9月で13歳と5カ月だし、レインは5日の誕生日で11歳。二代目じゃないけど、サムも12月が来たら12歳だ。

二人とも、ドッグスポーツで大いに活躍し、サムは昔も今ものんびりと余生を過ごしている。

どの子にも、全く問題がないかと聞かれればそれなりに多少あちこちガタが来はじめているし、小さい兆候がいつかは命にかかわることにつながるかもしれない。そう思うと、またこの日記も、マリンからダッシュやレインやサムたちに引き継がれていくほうが自然な流れだろうなと思う。

もうじきレインの11歳の誕生日がくる。それまでに「青い瞳のマリン」を完成させて、新たなMAGICの犬たちの歴史の一部として日々の状態をここに描く作業を続けていくことが必要だろうと思う。

今のところ泣きそうになりながら病院通いをする子はいないけれど、日々の記録の重要性は確かに大きなものなので頑張っていかなきゃね。。。
にほんブログ村 犬ブログ 犬 闘病生活へにほんブログ村

2009/08/31 Mon

Category: つぶやき

同じ印象。。。

パパはマリンにダッシュが20歳まで今のまま頑張っていられるようにお願いしたそうだ。

今のままっていうところに味噌がある。ダッシュももう13歳半になろうとしているので多少気になる部分が出てきたから。
私が感じていたことと同じに、パパもマリンはちいさいころから何も手がかからなかったいい子だったと言いだした。でもダッシュは違ったよねっていう。確かにね。。。思い返せば何歳まで「馬鹿ダッシュ!」と呼ばれていたんだったっけ(笑)

マリンには到底つかない名前の前の飾り言葉。う〜ん・・・それってやっぱりキャンキャンうるさいからキャンディーでいいやって安易に名前を付けられたキャンディーの子だからでしょ。。。

いろんなことがあってこれじゃいかんと修正してようやく理想に近くなったうちのスーパードッグのダッシュ君は、人間と同じように若くて理性がちゃんと働いてる年まではどこに出しても恥ずかしくない犬だったんですが・・・。最近は年寄りらしく我を張るようになってきたよね。

マリンだって手がかからなかったとはいえ、玄関におしっこをするようになっていったし、だんだん子犬に帰るんだねって言うことは手に取るように判ったじゃん。ダッシュだけがいつまでも理想の犬でいなくちゃならないなんってそれはあんまりだと思うけどねぇ。。。それもパパが定年になってあちこち一緒に行けるようになるには20歳までがんばらないと。。。実際問題難しそう。。。

でもその気持ちはわからないでもない。パパは理想を言うけれど、マリンみたいに自分たちの事が判らなくなっちゃうまでがんばった後天使になっていくほうが後悔がなくていいといったらそれはそうなんだけどと答えた。

結局夫婦だから同じ印象なんだなぁって思う。マリンの逝き方はパパにとっても理想的だったのかもしれない。私が狂乱することもなく落ち着いて最期を看取ってやれたことはある意味では大きな進歩だったからだ。

でもマリンは最初からあんな子だった。ダッシュは生まれてくる時からすでにいやっていうほど手をかけさせられてるからね。。。きっと誰よりも私たちに大変だったよって手を煩わせる時間がこの先やってくるんだろう。もう覚悟してるから大丈夫!

それはそれでいいよね。手がかかってもかからなくてもどの子も同じようにパーフェクトに愛しているんだからさ。。。今は元気で一緒にいられることを喜ばなくちゃね。
にほんブログ村 犬ブログ 犬 闘病生活へにほんブログ村

2009/08/06 Thu

Category: つぶやき

病気の犬は不幸なのか?

調べ物をするためにインターネットを使っていると実に多くのサイトがヒットする。最近はブログが多くどのページにもコピーのように同じことが書いてあって的を得たページにヒットするのは至難の業となることも多い。

でも逆を言えば今まで見ることのなかったページがヒットすることもある。毎日毎日の新規記事ではなくその人の想いに行きつくこともある。

「この子は不幸なの?」という言った意味のタイトルで書かれたブログに行きついた時、正直言ってほっとする自分がいた。あぁここにも同じように病気を受け入れられた飼い主がいた・・・この子は幸せな一生を送るだろうなと楽しそうな毎日を綴った日記を読ませてもらった。。。


自分なりにこう考えてあげられたら犬との暮らしは明るい幸せなものになると思うと伝えたい意志も思ったようにうまく伝わらない感がある。犬も個性様々なように人も個性様々だから考え方の違いもあるし同じ文章や言葉の解釈が同じであるとは限らない。

心に一物を持って発言した言葉でなくても嫌味にとられてしまうことだってあるし、考え方の違いから逃げているとか思われることもあるだろう。伝えたいことが伝えたいように相手に伝わる可能性なんてものすごく低いものだって思う。

本来人間は言葉という特殊な道具を使いこなせるように進化し、相手の顔の表情や言葉を発するときの仕草や声色によって、言葉の裏に隠された内面を推し量る能力があった。だから社交辞令も通用したし、本気も伝わったのだろう。

でも今はどうだろう?

相手との接触を避けてしまうがために、顔を見ない手段をよく使う。その上に声すらも聞こえない手段のほうが選ばれるようになった。
人間は文章だけでは相手の本当の感情読み取ることはできないことが多いというのに。

相手の感情も読み取れず言いたい放題突き付ける自分の意見で相手が傷ついていると気がつきもしないことは多い。インターネットやメールといった便利で不可欠な方法論のデメリットの部分だろう。掲示板・ブログの炎上とかは対面して話し合うことのない自己中同士の表現のぶつかり合いかもしれない。

子供はともかくも、大人として多くを学んでいれば守るべきものも存在するし、わざわざデメリットを選ぶものはいない。自己防衛をするのが大人だ。私も長い年月インターネットやメールを利用していていろんなことがあるけれど、多少頭に光がさしたように思う。

そんな状況の中でそれでも伝えたい何かがあれば人は自分の意見を発信し続ける。世界中のどこかの誰かが自分の書いたことを読むチャンスがあり、共感してくれるその瞬間のために。

「この子は不幸なの?」という問いかけは私もいつも思っていたことだった。我が家にはたくさん老犬もいるし、いちいち公開していないけれど、障害を持った犬もいるし、病気と闘う犬もいるし、この闘病日記の主役である「寝たきり老人」になったマリンもいる。

同じようなことになった時何かの手助けになったらいいなという思いと、自分の犬へやってきたことの記録の一部として書き続けている日記は、お涙ちょうだいのために書いているわけでもないし、人気取りで書いてるつもりもない。もっと言うなら、あんな犬がいるとか病気ばかりなのねと中傷されるために書いているものでもない。

それは同じようになったことが無い人には決して判ることのない世界の話だろうと思う。。。

そんな背景を保ちながらヒットしたページは同じ思いにあふれていた。実に前向きで犬と一緒に暮らしているその幸せを十分に知っている内容だった。

何の問題もない犬としか暮らしていない人や犬と暮らしていない人たちの中には、病気になったり障害を抱えた犬と暮らしていることを知ると「大変ね」「かわいそうに」「治らないの?」「休まる暇がないわね」と多くの言葉を投げかける。犬は生き物だから人と同じようにいつどこで病気になったり怪我をしたりするかもしれないって当たり前でしょと話したら、「普通、犬を買うときにそんなこと思ってもみないわよ」と反論されて絶句したことがある。


はぁ?犬は死ぬまで元気で最後はコロッて逝っちゃうものってこと?獣医さんは予防注射以外に行くようなことはないのが当たり前だって言うの???純血種の犬たちがみんなそんなものだって思っているの?

そんな風に健康なまま一生を終えられたら素晴らしいなっては思うけれど、それは理想であって現実じゃないと思うけど。。。理想に近づけるように頑張っていても理想=現実になることは少ないと思うよ。でも・・・ふつうは犬を買う時にはその程度にしか犬の一生を考えていないことが多いのか…ショックだった。

考え方の違いに言葉が詰まる。山ほど言いたい言葉を飲み込んでしまった。

私は「青い瞳のマリン」にも書いているけれど、犬を飼うってことはいつの日か人と同じように寝たきりになってボケちゃったりする日が来るかもしれないから、自分一人のときにも抱いて獣医さんに走れるような大きさの犬を選ぼうと考えたくらいだ。

犬を買う時にすでに病気になることも障害を抱えるかもしれないことも想定して決断した。そうなんだ…普通の人はそんなこと考えたりしないんだ…。思ってもみなかった。


ある友人は足が悪い愛犬をカートに乗せて散歩していたら「最後まで面倒みてあげてね!」と笑顔で話されたと言って悔しがって泣いていた。
その悔しさが、心臓に突き刺さった他愛ない一言の鋭さに痛みが走る…。返す言葉が出ない悲しみは、相手には伝わらないままだ。

「あなたと暮せて幸せだね、良かったねぇ〜!」と私ならこんな言葉をかけるだろうと思う。カートに乗せて歩けない犬をお散歩に連れ出してあげる優しい人がその子が天使になるその日まで面倒をみないはずがあるものか…言葉は使い方次第で凶器にもなるのだ。

足を失ったって、耳が聞こえなくなったって、治らない病気になってしまったって、目が見えなくなったって…すべてが問題のないことだけが幸せなわけじゃない。受け入れられることこそが犬たちの幸せだと思っている。

彼らは人と違って言葉を話さないから「かわいそうに」と言われても反論することはないだろう。でも人だったら?もし自分だったら?

病気になってしまったことを悔いるかもしれない。家族に迷惑をかけることで心労にさいなまれるかもしれない。障害を負ってしまったら、自分のことが自分でできなくなってしまったらどんな思いでいるだろう。

自分自身の責任で追ってしまう不幸ではなくたって、自分自身以外に負担をかけて生きるということは辛いことだ。犬たちは最初から人と生きることはヒトに寄生して生きなくてはならない。食事すら自力では得ることができないのだから。与えられたものしか食べることはできないのだから。

生きるって言うのは笑いもたくさんあるかもしれないけれど、泣くこともあるだろうし心が潰れそうに心配することもある。それは私たちが人間だから。

一緒に暮らす家族が病気になってしまうことや障害を負ってしまうことを罪悪だとは考えたくない。それはたとえ相手が犬であろうと人間であろうと変わることのない部分だ。

病気の犬は不幸ですか?耳が聞こえないことは不幸ですか?歩けないことは不幸ですか?目が見えないことは不幸ですか?不治の病は不幸ですか?

本当の不幸はそのことを一緒に暮らす人に受け入れてもらえないことだと思う。本当の不幸は病気や障害を抱えてしまったことを健康ではない=悪いこと・かわいそうなのだと思われ続けることだと思う。

優しい言葉かけと、柔らかい愛撫と、おいしい食事を与えてくれ、いつも自分を見続けて手助けしてくれ、その苦労をいとわない・・・そういう信頼する飼い主がそばにいれば、どんな障害や病気を抱えた犬もきっと不幸じゃないはずだ。私はそう信じて家族と、犬たちと、暮らしている。

もちろん意図的に病気になることがわかっているような繁殖はいけないことだし、障害を抱えて生まれるような可能性の大きいことが分かっている繁殖はしてはならないものだ。

でも、純血種といわれる犬はすべて人間が求めた結果を作るために意図的に病気や障害を起こす遺伝子を残した結果の作出物であることを忘れてはいけない。どんなに科学が発達しても、すべての問題を排除することは不可能だ。もしもできた時には今存在する純血種と呼ばれる様相にバリーエーションのある個体はいなくなっているだろう。

この背景を背負って、普通の犬たちはその一代で生涯を終える。血がつながらないことの幸せもきっとあるだろうと思う。繁殖に関わらないかぎりその犬が生きて生まれてきたことに大いなる意味があるはずで、病気になっても障害を持っても、幸せになる権利がきっとあるはずだと信じている。

犬は生き物なのだから病気にもなるし怪我もするのです。その原因が何であれ、ともに暮らす家族であるのなら犬たちが苦しまずにできるだけ穏やかに暮らさせてやろうとするのが愛犬家たるものだと思うのです。
にほんブログ村 犬ブログ 犬 闘病生活へにほんブログ村

2009/07/28 Tue

Category: つぶやき

ダックスが短足のわけ

ちょっと前の話です。(笑)

asahi.comのニュースはこちら

短足は遺伝子のせい 19犬種に共通、米チーム発見
ダックスフントやコーギーなどの犬種で脚を短くすることに関係している遺伝子を、米国の研究チームが見つけた。この遺伝子は少なくとも19の短足犬種で共通していた。米科学誌サイエンス(電子版)で発表した。


 犬はひとつの種なのに体格など形態の違いが大きいのが特徴で、350以上の犬種がある。チームはこうした犬の形態の特徴と遺伝子との関係を調べようと、ダックスフントなどの短足犬種8種と、短足でない犬種64種で、DNAの塩基配列のわずかな差(SNP)を分析した。

 すると「線維芽細胞成長因子(FGF)4」というたんぱく質をつくる遺伝子の配列が重複する変異が、短足犬種だけで認められた。このたんぱく質は人間の軟骨形成不全症(低身長症)との関連も指摘されている。その後の研究で、少なくとも19の短足犬種に同様の変異を確認した。チームは、この変異は現代の犬種が形づくられる以前に起きたとみている。(本多昭彦)


いまさらながらに証明しなくても当たり前っちゃ当たり前のことじゃんと思いつつ記事を読んだ。

少し前には猫の【スコティッシュフォールド(Scottish Fold)】にも骨軟化症の遺伝子が関わっていて耳が曲がってしまう猫同士の交配の繰り返しはいかがなものかといった話もあったしね。

それぞれの考え方だけど、そもそも純血種っていうもの自体、人間が作り出したたぶん【問題のある遺伝子の固定化】だと思う。そうじゃないとみんな野生種になってしまうわけで、自然淘汰の法則上、次の世代を残せて血縁を繋げられるものしか残らないよウになっているはずだから、多種多様な生物が出現することは稀になってくると思う。

生き物たちが生きるために定められた環境の中に進化は起きるので、白変種なんかはいい例じゃないかって思う。白いライオンを貴重がっているけれど、氷河期の時代には体の色は白いほうが生き残れたはず。今だって北極に住む白クマや北極狐たちは真っ白だものね。

人間も元をたどればアフリカ人の肌の黒い種類だったそうだ。それがすむ地域出生きながらえるための変異や、かかる病気などの淘汰によって、白人も出現し黄色人種も出現しっていう変化を遂げてきている。国によって血液型の分布が違うのも、環境に合わせて生き残るための防衛本能なのか病気ですらかかりやすいとかかかりにくいとか血液型とかでもわかれる部分がある。

そんな自然の法則を全く無視して作り出されたのが【家畜】だものね。

足が短いのはかわいいからじゃなく、その昔狩猟の用途に合わせて足が短いほうが利用価値が高かったからそういうのを固定化した。コーギーとかは牛追いのために体高が高いと蹴られてけがをしたり死んじゃうことがあったから短足にしたらしいとかいう話もある。

ブルドックも、今じゃイギリスでは騒がれてスタンダードの改正もあるとかいうけど、もとは牛と闘わせる闘犬として作出された犬種で、顔のしわは噛みついたときに流れる血で目や鼻がふさがれないようにあるとか、下あごが突き出ているのは噛みついたら振り落とされないようにがっちり噛みついていられるためだとか、足が湾曲しているのは踏ん張る力が強まるからだとか、まぁいろんな理由があるわけで…。

近年、犬たちの用途は作業にかかわるものは皆無と言っていいほど減ってしまった。残されたものはドッグショーという分野で見た目をより美しく過激なくらいに極端に見せるものへ移行した歴史の時間がある。当然、固定化の中で犬種が持つ遺伝子プールは極端に狭くなり多くの問題が出現して来るのはいわば当たり前なのだろうと思える。

そんな中で独りよがりに昔のシェルティー?のように作業意欲があって現役で一日中牧羊ができるような活発な頭のいい忠実なシェルティーを産ませたいなと思っている。でも理想と現実のギャップはかなり大きい。自分の理想もかなりぶれてるなと思うこともしばしば。

ドッグショーで活躍するようなコートが十分にあるシルエットの美しいシェルティーも大好きだし、多少毛が少なくてもキビキビと動きジャンプ力があって走れば抜群に早く、飼い主をいつも見つめて一緒に何かの仕事を楽しんでくれるシェルティーも大好きだし…でもスタンダードがあって忠実になろうとすれば自分の望むものは目隠ししなくちゃならない部分も分かってくるとどっちを取ればいいのかなぁと悩んだりもする。

犬がモノなら悩まなくてもいいんだろうけど、15年以上も一緒に暮らすパートナーだと考えれば妥協したくない。理想のシェルティーにいつ巡り合えるんだろうね(苦笑)

これからもいろんなことが証明されて、何だそうだったのかと日の目を見ることがたくさん出てくるんだろう。独特の犬種を作った代償もたくさんあるだろうけど、代償以上のものがあるからこそ純血種は存続しているんだと思う。彼らにとって多くの証明が良い道しるべとなることを祈って、科学的にいろんなことを証明してほしいと思っている。。。
にほんブログ村 犬ブログ 犬 闘病生活へにほんブログ村

2009/06/29 Mon

Category: つぶやき

愛犬にも高度医療

Yahooの今日のニュースを見ていたら【ペット情報】で「愛犬にも高度医療」というのがあった。


愛犬にも高度医療=CT、MRI、人工透析も−大阪府立大
6月29日6時1分配信 時事通信

 磁気共鳴画像診断装置(MRI)、コンピューター断層撮影装置(CT)、集中治療室(ICU)…。最新の医療設備を誇る真新しい建物で、動物たちが治療を受けている。大阪府立大学の獣医臨床センター(同府泉佐野市)。ペットの治療に高度医療を求める飼い主は、年々増えているという。
 府立大は4月、獣医学科と付属病院に当たる同センターを、堺市から関西国際空港対岸の新キャンパスに移転。国内トップレベルの医療機器を備え、バイオテクノロジーや感染症の研究を進めている。
 同センターの「患者」は犬猫が中心だが、動物園のコアラやラクダを診察することも。ペットの寿命が延びるにつれ、がんを患う犬猫が増えており、同センターは最新の放射線治療装置を導入。人工透析や内視鏡、超音波検査の設備もある。
 久保喜平センター長は「動物の医療はますます高度化している。開業医では困難な治療を引き受け、拠点病院としての機能を果たしたい」と話している。


時代はどんどん進んで医療もどんどん発展してきてるんだなぁと実感する。それはペットとして飼われる多くの動物たちにとって良いものだと思っていた。

でも・・・たくさんの家族同然のペットとの別れを経験し、その中には大きな病気で高度治療を受けることも考慮に入るものだってあった。

愛しているから…そばにいてほしいから…なんとか寿命を延ばしてあげたい、まだ若いのに…治せないのだろうか…

いろんな思いが交錯し、治療内容を検討した日々がある。

でも、自分が理解できたことはたったひとつだった。

【犬や猫たちは人間じゃないのだ】という事実。
それは人間じゃないからそこまでする必要がないという意味ではなくて、人間でないから治療の意味が理解できない相手なのだという部分と、彼らは人間に比べてはるかに寿命の短い生き物なのだという部分だ。

どんなに飼い主や獣医さんが彼らのためだと思っても、飲んだり食べたりすることで体の状況が楽になったということ以外に彼らには治療の意味が理解できない。そんな彼らに残された時間を考えつつ、体の具合が悪い時に麻酔をかけてまでするべきことなのか毎回のように悩み続けている。


犬や猫たちの一年は人の一年とは大きく異なっている。寿命から換算しても、4・5年に相当してしまう。毎年一回健康診断をしていれば大きな病気の早期発見ができ、必ず助けられるというわけでもない。

そして彼らの意思の確認はできないし、治療後に残された【痛み・苦しみ】を人間ほど伝えるすべがない。

少し前までは犬や猫たちは【痛み】を感じていないのだという解釈すらあった時代がある。彼らが人間の言葉をしゃべれないうえに、よわっちくなった人間のように何かと【痛い!苦しい!】と大騒ぎせずにじっと我慢する生き物なのだと知られていなかったからだ。

人間なら症状を克明に伝えることができるから多くの病気は始まりの段階でも見つけられることが多い。でも犬や猫たちの場合には飼い主が気がつかなければ病魔に侵されたらどんどん進行していくだろう。進行させてしまった後悔をしても時間は元には戻らない。

6頭の愛する家族を失った後、私が心に決めたことは病気の早期発見と、進行させないように日々彼らからの信号をキャッチできるように暮らしていこうという決意だった。

犬も猫もペットとして飼われるどんな動物たちも、生き物である以上死ぬまで病気やけがと無縁であることは皆無に等しい。その確率はきっと人間と同様で、食事や生活環境の改善で寿命も長くなり、その分病気や障害を起こす確率も格段に上がるのは当たり前なのだ。

昔の犬や猫が病気にならなかったのではなくて、発覚する前に他の事情で天使になってしまっていただけなのだろうから。。。

私は基本的に投薬で病気と闘うことを基本と考えている。それは我が家の犬たちが薬を飲むことによって自分の辛い状況が改善されることを理解することがわかったからで、点滴も同様だった。(もちろん入院ではなく自宅でできる範囲のものとして)

手術関係・麻酔・抗がん剤投与・輸血・CT/MRIなどはその時の状況によってどうしても必要な場合(生きるか死ぬかの選択の時)、判断する余裕のないほど緊急の場合を除いてできるだけ望まなくなった。

高度医療および麻酔を使用しないとできない手術関係はこれから当たり前になっていく時代になるのだろう。犬や猫たちが子供同然と思う心やさしい飼い主たちに当然の義務と誤解しないような策が必要じゃないかと考える日も多い。

できることがありその命を彼らの苦しみを増大することなく存続できるのなら生活が逼迫しない限りペットといえどもできる限りのことはしてあげてほしいと願う。でも、高度医療に関してはやることが【良い飼い主の代名詞】になっては決していけないと思っている。

犬や猫たちにも感情があり、人間同様の部分の多くあるのだからこそ、彼らの本当の発言(彼らが望むこと)を聞く耳を持っていてやりたいと思う。

犬や猫たちは飼い主をひたすら愛し裏切るようなことをしないピュアな生き物だから…彼らに大きな負担がかからないように、彼らが求める【そばにいてね】というたったひとつの要望を叶えられる飼い主でありたいと願いながら高度医療について考えていかなければならないだろう。。。
にほんブログ村 犬ブログ 犬 闘病生活へにほんブログ村

2009/06/08 Mon

Category: つぶやき

犬は家族じゃなかったですか?

いやな記事を見つけちゃった。

北九州市:認知症や寝たきり介護放棄…相次ぐ老犬の引き取り依頼/福岡

 ◇「命の尊さ動物も同じ」−−北九州市訴え「終生面倒をみて」
 ペットとして飼いながら老犬になったことで飼育をあきらめ、北九州市に引き取りを依頼するケースが相次いでいる。近年、犬の平均寿命が延び、認知症や寝たきりなどで“介護”が必要なケースが増えたためとみられる。市動物管理センターは21日、殺処分した犬猫などの動物慰霊祭を実施。1匹でも多くの命を救うために努力することを誓った。

 慰霊祭で、市保健福祉局の堀口尚人理事は「動物の命がむやみに損なわれることがないよう、人と動物が共に生きる社会を目指す」と強調した。

 センターによると、昨年度、市内で殺処分された犬は計613匹。近年は老犬が増えてきたのが特徴で、引き取り申請も増加傾向にある。シベリアンハスキーやゴールデンレトリバーなどの大型犬が多く、引き取りの理由としては「介護が必要になり、面倒を見切れない」などが目立つという。

 センターは「飼う際、将来的に“介護”が必要になるとは思っていなかったのではないか」と推測。引き取り希望の飼い主に対し、引き続き飼うよう説得しているという。

 市は、安易に手放さないように10月から犬猫の引き取りには1匹2000円(子犬、子猫は1匹400円)を徴収することを決めている。

 センターの担当者は「命の尊さは人間も動物も同じ。終生面倒をみるという責任と覚悟を持ってほしい」と話している。【松田栄二郎】

〔北九州版〕


こういう記事を読むと本当に悲しくなる。

いつだったか犬を飼っている人と話しているときに、「大変ね」と言われたので「買う前に介護が必要になることだってあり得るってわかってて犬を飼うんじゃないのかな?」と言ったら、「犬を飼うときに病気になったり寝たきりになるなんって考えてもいなかったわ」と答えられて困惑したのを思い出す。

だからうちみたいになってしまうことは大変以外の何物でもないってことなのか。。。大変じゃないわけじゃないけど、この状況がマリンじゃなくたって人間の家族に起きたことと同じだって思ってるんだけどな。

我が家はもともとパパの両親と一緒に暮らしてきたし、二人の最期を見てきたから老人介護は犬より人が先だったので別段、犬だって一緒に暮らしているのだからいつかは来るだろう日だって知ってるから乗り越えられるの?

なんか違う気がする。もしも逆でも同じようにしてきていると思うし。。。

こういうのってどうなの?生き物と暮らすっていうことの根本がぽっかり空いているように思うのは私みたいな変人だけ?

確かに買う時に可愛くてふわふわで「癒される〜」って感覚だけだったって言われるのはわからなくはないけど、最後まで面倒みないのなら「家族です」とか言ってほしくない。

年をとって手がかかったり、病気になって思うようにできなくなっても、生き物なんだからさ…車やバックじゃないんだからってずっと言い続けてきても一体いつになったら飼い主の意識が大きく変わる日が来るんだろう。。。

確かに人間はエゴの塊だけれど、年老いた犬を処分場に持ち込んでなんとも思わないのかしらね。。。数千円支払わせたってなにも変わるはずがない。

ペット税の導入とか言う前に処分場へ飼い犬・飼い猫などのペットを持ち込む場合にはもう飼育できないとかにしちゃえばいいのに。。。中にはね、流行が終わったから違う犬を飼いたいから引き取ってもらったとかいう人だって実際にいるんだから…

大元が引き取って処分すればことがすむと思ってるから何も変わらないんだよきっと…。
にほんブログ村 犬ブログ 犬 闘病生活へにほんブログ村
<< 2/8 >>