2014/05/30 Fri

Category: 虹の橋へ

さよならメアリー。

29日11時過ぎ、アラレを譲ってくれた友人の初めての愛犬が亡くなった。沢山の経験を彼女に与えた素晴らしいラブラドールだった。

半年くらい前、悲壮な声で「メアリーの足に癌ができちゃって…切断するかしないか決めなきゃならない…。」と相談してきた彼女。絶対に死んだりしないそういう存在の愛犬に突きつけられた最後通牒に動揺は隠せるはずもない。大型犬で15歳を超える年齢を考え、股関節に問題を抱えていることを考慮したら、足の切断はその仔の最後の生活クオリティーは大幅に下がるだろう。

切断して完治するのなら、それに股関節に問題が無いのなら決断は簡単だけど、癌の転移もほぼ確定の状況でなぜ獣医は切断を進めるのか。。。

癌によって切断を選択した色々な事例をお互いに見つけてはこうなっていくんだよねという現実に苦しみ、どうしたらいいんだろうという問いかけに最後は私なら切らないと答えた。それはそうするべきだという進言ではなく、もしもあの子が私の犬だったら私の取るであろう選択肢の答えだった。

「もしも切断したとして、切られた足は結局捨てられちゃうのかな?あの子の一部なのにそんなの嫌だな…。」

何を言っているんだろうと最初はいぶかしく思った彼女の言葉に、「駄目になっちゃったものはもうどうしようもないじゃん、処分されたくないってどうやってとっておくっていうの?」と冷たい言葉を投げてしまった。すぐに冷静に物事を考えられないような状況に違いないのに、何ってことを言ってしまったのだろうととても反省した。

「今はさ、切り取られた足がどうなるのかよりも、あの子が生きていく残りの時間の中に何を優先してあげることが一番の幸せに繋がるのかって考えることが先なんだよ、それを決めてあげられるのはあなたしかいないし、あの子はあなたが決めてやってくれることがどんなことだったとしてもすべて受け入れてくれるのだからしっかりしなさい。」と話した。

そのご・・・彼女は切断をしないことに決めて癌との騙し合いの日々を送ってきた。

いろんな雑誌のモデル犬をやったり、撮影が大好きだったというあの子は切断しなかったことでその後最後のお仕事を受け、見事に完了し、先日15歳のお誕生日を元気に迎え、29日、彼女の傍で天使になった。彼女を煩わせたのは最後のたった二日間だった。学生時代からの15年強の付き合いは彼女にとって姉のような存在だったのかなと思う部分もある。

今は一緒に暮らす犬たちに頼れる存在になっている彼女の大切な心のよりどころで頼りにしていたあの子がいなくなってしまうことの大きな影響は計り知れる物ではない。でもそれをきっと乗り越えて今後も犬たちのために頑張っていってくれるだろうと思っている。あのこ、メアリーもきっと天国から応援し続けるだろう。

メアリーのご冥福をお祈り申し上げます。素晴らしい犬との出会いでしたね。メアリーがあなたの人生を変えた犬でしたね。今は悲しみの中から抜け出せなくてもいつでも待っているからまたメアリーの話を聞かせてください。合掌
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2014/05/29 Thu

参った。。。そのいち

5月28日午後6時半・・・アスカの様子は急におかしくなった。

洗濯物入れなくちゃとアスカの横を通って庭に出るとアスカはトイレに向かって一緒に歩いてきた。なんかいつもより元気がないなっては思ったけど、子犬のお迎えがあったからナナセやジャイアンを二階にあげたせいかなと思っていた。

部屋に戻ろとしたら珍しくシーツの手前に大量に出てしまっているので思わず『アスカ、ここじゃないでしょ!!』と言ってアスカを見た。すでにアスカの耳は遠くなっていてよほどじゃないと聞こえないけど私の様子から分かったのかとっても神妙な顔になった。その顔を見て、あれ?そんなに凹むほど怒っていないけど変だなと思った。

抱えた洗濯物をベッドにおいて、「アーちゃんそんなに怒っていないよ、失敗しちゃったんだね今拭くからね」と言って頭をなぜ床を掃除した。アスカはその場所に佇んだままだった。もともとアスカは元気印の年相応には決して見えない13歳のおばあちゃんだ。多少叱ったとしてもへの河童という犬なのにおかしい。

掃除が終わってアスカを撫ぜようとしたら急に崩れ落ちるように横倒しになった。
慌てて抱きかかえて名前を呼んで揺り動かしたけど、虚脱状態になっていて焦点が合わない目でぐったりとしたままだった。慌てて病院へ電話を掛けるも今日は休診日だ。それでもバクバクの心臓のまま何度もリダイヤルをし続けた。

何度かけても繋がらない電話を放り出して、緊急用の処置をしていたら葉ちゃんが孫の瞬を連れて降りてきた。ちょうどお風呂の時間だったのだ。いつもとは違う私の様子にどうしたの?の問いにアスカが死んじゃいそう〜と叫んだ。

葉ちゃんも初めてのことでテンパって一緒にどうしようとおたおたしている中裕貴が来てくれたので状況を簡単に説明してどこか病院探していくしかないかと相談する。もう一度先生に連絡してみてからにしたらと言われ、投げ出した電話をリダイヤルしたら繋がったのだ。声を聴いたとき神様の声に聞こえたよ・・・

とりあえず行った緊急処置を報告し、自分の見解としてたぶん閉塞性の子宮蓄膿症か、そうでないなら11月に手術した乳腺腫瘍ががんで転移したかどちらかだと思うと告げた。閉塞性の蓄膿症は見落としが多い。陰部から織物が無いし、顕著に水をがぶ飲みしているとかやたらにおなかが張ってきているとか症状らしきものがあればわかるだろうけど、アスカのように昨夜までバクバクご飯を食べて庭を走り回っていたりしたら、少しづつやばくなっているなんって気が付けるはずもない。

アスカのおなかはとても硬くて熱くなっていた。陰部からの織物は無いけれど、こんな風におなかが張っているのは中がどうにかなっていると思う。大量におしっこをした後だから膀胱や腎臓ではないだろうし、足腰を痛がった感じはない。心拍は異常に早く歯茎は赤っぽい。貧血やアナフラキシーショックとは違い、人で言うなら高熱が出ているといった感じだろうか。

時間を調整して病院へ連れて行く。到着するころには緊急措置が功を奏したようでぐったりと動かなかったアスカは周りを見回すくらいの元気が戻ってきていた。

エコーで子宮を見る、血液検査で白血球4万越え、確認のためレントゲンを撮ると内臓自体が動いていないのか昨夜食べただけでその後食べていないにもかかわらず胃に内容物が残り便も排便できていなかった。つまりアスカは少し前から体調不良だったのにほかの子たちよりはるかに元気だったために異常を見落とすことになってしまったのだ。

点滴を入れて体調を整え明日手術することになった。

おりしも明日はシンノスケの歯の治療の予約を入れてあったのでその時間を当ててもらうことにした。
術後、DICを起こす可能性が無いとは言えないこと等でDICになるかどうかの検査をして次の日に手術を伸ばすかを少し考えた。でも、結局手術後にDICになってしまうことが検査で分かったとしてもすでに問題の子宮や卵巣を取り除かなくてはいつ死んだっておかしくはないわけでDICになったらなったまでの運命だからと自分に言い聞かせてとにかく早く駄目になっている臓器を取ってほしいとお願いした。

昨年の乳腺腫瘍の切除をしたとき避妊しておけばよかったかなと思ってはみたけど、やっぱり避妊していない子全てが子宮蓄膿症にならないまま最後までいられる子もいるし、結局ある一定の年齢になって最後の決断のパターンは変えられないかもしれない。今はアスカの命を取り留められたことに感謝するしかない。

29日午後、アスカの手術は無事に終了。麻酔からもいい感じで覚めていますという連絡だった。今日は絶食だし、年が年だから念のために1週間くらい入院することになっている。明日の朝、アスカの御飯を持っていこう。でも会うと泣くからなぁ…連れて帰ってくれなかったと大きなショックを受けるだろうアスカに明日会っていいものかどうか悩んでいる。。。(T_T)
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2014/05/23 Fri

Category: 虹の橋へ

ペットロス メグの命日

今日はメグの命日だ。メグは初めて飼ったダックスで私たち家族にとって最高のダックスだった。。。猟犬らしく雄々しく強い肝っ玉母さんだった。私も彼女を見習いたいといつも思っている。愛情の深さ、細やかさはどの犬にも負けないものを持っていた。

巷で「ペットロス」という言葉が使われるようになってずいぶん時間がたった。昔はそんな言葉無かったけど。自分の中ではいまいち「ペット」という名称に違和感はあるけれど、人には伝えやすい言葉となった今、なんとなく使っている。内容はこの言葉で聞いた相手には十分伝わるだろうから…。

今も大切なあの子たちに触れられないことを実感すると我慢しても涙が止められなくなる。初めて失った愛ちゃんをはじめ、どの子ともそれぞれにさまざまな思い出があって誰一人として単独の想い出が無い子はいない。

沢山の犬と暮らしていくと多くの場合一派ひとからげになってしまって、可愛がっている子はごく一部となる場合が多いようだけど、私は頭がおかしいのか(苦笑)そういうことが無い。自分のポリシーとして一緒にいるときはみんな平等、でも単独の関係ではそれぞれを一番として対応することにしているからかなぁと思う。

ただ、犬種や体の大きさが違えば日々作られる関係の違いは大きい。小型犬たちは孫のように扱っていると感じているし、シェルティーたちは子供のように扱っていると思う。

小型犬たちを失った時の衝撃は時間がたつごとに触れられない悲しみは増大し、時には体が震えるようなストレスに見舞われる。同じ犬種を見ては涙し、時と場合によってはどうしても同じ犬種が欲しくてたまらなくなる。

では子供のように扱っているシェルティーたちはどうなのかというと小型犬への思いとはちょっと違うのだ。一緒に何かをやったということではなくても多分共に暮らすためのルールを教えてきたことのウエイトが大きいのか、小型犬同様に舐めるように可愛がってきたことは変わらないのに触れられない悲しみよりも出会えた喜びのほうが大きい。

時間がたつにつれ、あの子と暮らせて幸せだったなという充実感が増大してくる。そして今後またあの子みたいな子と暮らしたいという希望が湧いてくる。

同じペットロスの状態のはずなのにすごく不思議な感情だ。

そして失った時の彼らの最後の顔を私は忘れていく。年老いたり病気でやつれた悲しみがたくさんのあの時の顔を思い出そうとしないのだと思う。

先日パパが、実家から預かっているチワワのアシルの顔をまざまざとみていてなんか「ノンちゃん」そっくりだなと言った。「?なんで?ちっとも似ていないけど…。」と答えると「舌がちょろっと出ているところが似てるじゃん」と言う。

言われるまで気が付かなかった。

私の中のノンは広いグランドで走り回り、うれしくて走っては私のもとに戻り「お母さん見ててくれた?」と嬉しそうにはしゃいでいたころの輝いているノンに戻っている。顎の骨折で顔が歪んでしまったことでいつしか舌が横にはみ出るようになっていった顔や乳腺腫瘍とそけいヘルニアの切除後から皮膚の関係で膝が悪化し、走り回れなくなったことを思い出そうとしていない。

ノンだけではなくみんなそうなのだ。最期はボロボロだったはずのマリンも、ガリガリに痩せてしまったミールやダッシュも、その悲しい姿はこうしてあのころを意図的に思いだし書いているような今は思い出してしまうけれど、日常は素晴らしい犬たちだった事実しか思い出そうとしない。

自分が壊れてしまわないように脳が意図的にそうしているのだろうと思う。そうでなかったらこれからもまだ続いていく年寄りたちとの暮らしを受け入れられることが無くなってしまうだろうから。。。

ペットロスは辛いし、愛している深さに比例して悲しみも深くなると思う。でも、その深さは愛した証だし、彼らからも愛された実感が伴う物なのだと思う。いつかどうあがいてもやってきてしまう別れのその日を恐れずに、その日までを大切にこれからもいろいろとあるだろうけれど、たくさんの経験をさせてくれたあの子たちに感謝をして頑張っていこうと思う。。。

メグ、そっちで元気にやっていますか?ママもそれなりに頑張っているよ。メグが生きていたらきっとお世話しただろう瞬君も生まれ、君が育てた子犬達の血も繋がってみんな元気で頑張っているから安心してね。いつも守ってくれてありがとうね。
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