2013/07/30 Tue

Category: 独り言

時代が変わる時…。

マリンとキャンディーが生きていたら今年のお誕生日、1月24日で20才である。まるで決まっていたことかのように、私たちの大切なパートナーだった子たちがマリキャンとの出会いの年から20年もたつうちに次々と天使になっていった。シェルティーだけじゃなくダックスもポメラニアンも。まだ楽観できない子たちがいるけれど、できればしばらくはそういう経験はしたくないと願いつつ。

私の周りの人たちの愛犬たちも次々と天に召されていく。同じ時代を生きた思い出深い犬たちが、記憶の中だけに生き続けながら今もうここにはいない。でも、絶え間なく愛にあふれた日々だったから、彼らと暮らした記憶は決して消えることはないのだ。一つだけ残念なことは、彼らを失ったその日がすべて昨日のことのようで、10年以上前に見送ったキャンディーですらつい数年前だったように記憶しているし、数年前に見送ったミールやレインやデイジーやメグにおいては家じゅうにある写真のせいか何年立ったのかわからなくなる。ミールもレインもデイジーも去年逝ってしまったのだとしか思えない。サムやダッシュやクリス、エリーはもう半年もたったなんって信じられない思いで、先月だった感覚のままだし、先月・先々月逝ってしまったミニーやモモや蘭になると先週だったような錯覚がある。なんでそんなことになるのかと言ったら、私の場合は愛犬を亡くしたショックからか、毎回1頭失うたびにその日からの半年くらいの記憶がポッカリ空いてしまうからなのだ。愛ちゃんの時に始まったこの現象は今もまだ続いている。

だから今年の1月の記憶はほぼないに等しい。カレンダーの月を見てもう7月が終わるのかと気が付いた時、1月は何をしていたのか、2月は何をしていたのか、3月は…と自問自答をしても毎月毎月ぽっかり空いてしまう日が数日ある。何も予定がなかった日、私は何をしていたのだろう?家族からはクレームが出ないのでそれなりに対応できていたのだろうと思うけれど、いろいろ書き込まれたカレンダーを見ながらああそうだったこんなことがあったんだったっけと思い出すけれど、その前にある辛い記憶を引き出さないように脳自体が自衛しているのかもしれない。

毎日を忙しく送っていればいつか悲しみは薄らいでいくという人もいる。時間が解決してくれるという人もいる。でも私はそれには当てはまらない。一時期これではいけないと思ってずいぶん平静を装った時があった。明るく振舞いすっかり立ち直ったかのように動いた。でも、無理なものは無理なんだ。悲しいのだもの涙を我慢しなくていい。泣きたくなった時は泣こうと決めた。今まで花なんか飾るような習慣がなかったのに、ついつい百合の花を買ってきては飾り続けている。それが何を意味するのか何のためであるのか答えは無いのだけれど…。答え探しをやめた。やりたいようにするのが解決の早道なのだろう。ある意味で「開き直る」私は弱い人間ですとさらけ出せばいいのだと思うようになった。

気が付くとそばにいる子たちは3世代目の子たちから構成されている。繋がっている血だけれど、どの子もあの子になった子はいなくて失ったこの名前をもらわなくて正解だったと思う日々もある。犬達が逝ってしまうとき、もう一度生まれ変わって帰っておいでと願っているのに、本当に生まれ変わりなんだと思う犬に出会えたためしがない。そして、今までに一度たりとも私の大切だったあの子たちは夢の中にさえ現れない。それがなぜなのか、夢の中だけでいいから顔を見たい声を聞きたいあの毛に顔をうずめたいと願っているというのに。でも現れないのはなぜなのか・・・それは今そばにいる生きている子たちに、忘れられない大切な子たちにしてきたように、同じように抱きしめてその毛に顔をうずめてねという彼らからのメッセージなのだと思えるようになっている。

それでもなお、毎朝目が覚めるとすぐに、まったく白状は奴らだと、たまに憎らしく思ったりもする。でも、夢にさえ出てこないってことは思い残すことなく虹の橋のたもとで待っていてくれているんだろうなと思ってみる。

今までに逝ってしまった子たちはみんな「待て」だけは完ぺきだった。だからきっと待っていてくれるんだろう。彼らに教えた「待て」は「お母さんは必ず君のもとに帰ってくるのだから安心してここにいなさい」という意味を持っていた。だからなのかな…。今になってみるとまだいろいろ教えている途中で不完全な状態の犬たちのほうがもしかしたら生まれ変わって戻ってきたりするかもナとか可笑しなことを考えてしまったりする始末。まったく、いい大人がまるで子供みたいだ。

自分たちの力で養い、自分の犬だという自覚を持って一緒に暮らし始められるのは大人になってからだろう。そうすると人生の始まりからのおおよそ20年は飼い主にはなっていない。20年を過ぎて犬と暮らせる残りの年月は多くても60年あったら幸せな人間だ。その60年のうちに3分の1ごとに悲しみの別れが必ず起こるのだ。私は30を過ぎて初めて自分の犬と巡り合った。そして今一つの区切りの20年がたったのだ。この先同じ区切りを後何回経験できるだろう。あと1回を幸せに思い残すことなく迎えられる日が来るようにまた新しい時代を始める年なのだと思うことにしようとおもう。。。

20年目の今年、これから新しい時代に変わっていく。振り返る最初の一区切りを超えられるようなこれからの20年を今の犬たちとゆっくりと一緒に歩き始めようと思う。。。
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2013/07/27 Sat

余計な事したせいで…。

抜糸も無事に終わり順調に毎日を送っていたノンちゃん。ところがモリーが下痢ピーになり、治ったらメロディーが同じくピーになり、ファンタが微妙にゆるくなり、ミミがピーピードンドンになった。ノンまでなったらまずいよなと身構えていたせいで、なんとなく口の中が膿っぽい匂いがするのでこれはまた化膿がぶり返したかもと予備にもらっておいた抗生剤を飲ませたら…。(T_T)(T_T)(T_T)

かわいそうにゲロゲロになってしまったノンちゃん。。。

抜糸前も数回薬を飲んだ後吐くことがあった。でもその時は抗生剤のせいではなく鎮痛剤が胃に障ったのだろうという先生の診立てもあり、すでに傷口も塞がっていたしそのまま止めてしまっていたから、まさか抗生剤が合っていなかったとは夢にも思わず。

吐き気止めを飲ませようにもダラダラの涎を出しながら飲むわけもない。こうなると注射で吐き止め打ってもらうしか手段はないし…。

半年ぶりにカットしてもらおうと予約入れた自分の美容院を急きょキャンセルし獣医さんへまっしぐら。当のノンちゃんは獣医さんに着いても涎が止まらず静脈注射を受ける羽目に相成った。とってもよく効くからと言われても痛がるノンにビビる私。

シェルティーならイイコだね我慢だよと慰められるけど、2キロに満たない、ヨレヨレの年老いたか細いポメラニアンじゃ、慰めてやるどころかこっちのほうが泣きたくなっちゃうのだ。母親失格だよね…(T_T)

そうこうするうちに吐き気が止まってきたようでノンちゃんは落ち着いてきた。結局、私が余計な事をしたせいでノンちゃんは最悪な午後を過ごし、私はまた伸びっぱなしの頭のままである。次はいつ時間ができるかなぁ〜…。(T_T)
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2013/07/22 Mon

Category: 虹の橋へ

ゆっくりお休み…。

7月18日、ダッシュの一日前に生まれ、のちに我が家のクリスの父親になったギャランセリアのマー君が天使になった。享年17歳と2か月半。シェルティーとしては非常に長生きだった。

我が家でダッシュが生まれ、ギャランセリアではマー君とメーテルが一日前に誕生した。当時私たちは大きな夢を描いていて、それでいてごく普通の想定には染まりたくなくて周りからはいろいろと揶揄されるような当時は大胆なことをやってのけていた。そこに生まれてきてくれたのが彼らだった。

子犬の誕生を夢見るとき、それにかかわる当事者は多くのことを悩み考えて相手の選択を考える。それは時に犬の世界では常識といわれることから離れてしまうこともある。でもそれは長い時間を経て結果として正しかったか間違っていたかが評価できるのだと思う。

たくさんのシェルティーが生まれてくる中に一つの血液がずっと続き続けることは少ない。いつしか消えていく運命が多いのだ。消えない血液にはそれ相応の理由が存在すると思う。多くの人が求める何かを必ず持ち備えているからこそ、十年も二十年も続いていくのだろう。

ダッシュの健全さが多くの人に受け入れられたように、マー君もまたそういうものを持ち備え我が家の子犬のルーツになり続けていく。。。
クリスがマー君の子であるからこそ、ダッシュとの間にメロディーが生まれた。クリスとの間にたった1頭生まれてきた女の子がメロディーで、メロディーの娘として生まれてきた女の子がパフィーだ。今年の出産でパフィーは母親を引退する。

これから我が家の血を背負って生まれてくる子犬たちはみんなパフィーの娘たちから生まれてくる。だからここが途絶えない限り、ダッシュもマー君も生き続けていく。

犬たちの寿命はさまざまだ。短い子もいるし長い子もいる。私は繁殖をしていく者としてダッシュやマー君のような元気で長生きしてくれるおおらかな犬を作り続けたい。マー君と出会えてよかった。。。本当にありがとう。

そして、周囲の反対を仕切ってマー君を作出してくれたギャランセリアにも感謝している。今はきっと悲しみが深すぎて辛い時だろうと思うけれど、どうか早く元気になってほしいと願っている。

マー君のご冥福をお祈り申し上げます。合掌
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2013/07/10 Wed

無事退院。

心配で心配でたまらなかったノンは無事に退院してきた。朝ごはんは病院でAD缶をいただき、夜はいつも通り私からささみを半分ほどとナチュラルハーベストのパピーを30ccほど一粒づつ口に運んでもらい完食できた。

なんか予想と違ってダメージはそんなに大きくなさそう。ホッとしている(*^_^*)

先生によれば心臓の事も気になったので血圧が下がらないように保護しながら手術に臨んだとのこと、本当にありがたい限りで…。

家に戻るための乗った車では月曜の朝と同じようにかなり興奮気味でウロウロ動きまわるのでちょっと心配だったけれど、時折ピタッと横にくっついてはため息をついて動かなくなったり、たぶんこれからまた病院へ行くのだと勘違いしたんだろうなと思う。

家に着いたら何やら偉そうにアラレやふぅちゃんにゲルゲル文句を言っていたけど数分で落ち着きを折り戻して爆睡。夜中に徘徊が始まっていたから病院でも寝れなかったんだろうなぁと思う。ひたすら眠り続けるノンを横目に見ながらこんなに元気なまま帰ってこれるのならもっと早く決断すればよかったと思ってみたり。

でも問題は今日これから後のほうだ。ボケが進んでしまったり、歩けなくなってしまったり、そんな風に一気に老化が進まないように気をつけて暮らさないとね。退院する時病院に居合わせたカートに乗ったチワワちゃんは17歳だと言っていた。ノンちゃんもあんな風に長生きできますように。蘭の分まで長生きするんだよ!ねぇ、ノンちゃん(^◇^)
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2013/07/09 Tue

ノンの手術

家で一番小さなノンちゃんが、今年15歳になるノンちゃんが、投薬ではもうどうにもならなくて顎に入れたプレートをはずす手術を受けた。2011年1月14日の早朝思いもよらぬ大けがで顎の骨を骨折した時のプレートとボルトだ。

犬も年を取るといろんな部分の肉が落ちてしまうそうで、ノンちゃんはギリギリに入れてあったプレートが接触し化膿してしまうようになり長い事投薬をしていたのだ。

何せ今年は15歳のお誕生日を迎えるわけで、その上もう足腰が弱くなっていて見た目的には蘭よりもずっと年寄りの様相だから出来れば切ったり張ったりはしないで薬でなんとかならないかって治療をお願いしていた。

抗生剤が効きにくく感受性試験をして薬を変えて一時期は綺麗に治ったけれど、薬を切って5日ほどでぶり返し、またもとの黙阿弥となった。こうなるとそうそう簡単に傷口がふさがる事はない。すでに化膿してからだいぶたつので手術してプレートを取り除くしかこの傷を治せないという結果まで追い込まれ、やっと決断。

でも相談される先生が一番困っただろうと思う。

「切るのは良いんだけどね、死なないよね?絶対死なないよね?」としつこく食い下がるおばさん相手に「手術だから絶対大丈夫とは言い切れないけど…」と言葉を濁す。人医だって盲腸一つ切るにも何やらの誓約書書かせて万が一の事はないとは言えませんよ〜麻酔かけて身体切るんだからねぇ〜といった内容にサインさせられるんだから、頭ではわかってるんだけど。。。

先生を信じてるよと言いつつ、ノンちゃんのことになると相変わらずパニクッてる私。年だから仕方がないって諦められないんだよ。。。

で・・・今日手術してもらいました。今のところ問題はないとのことで明日の朝顔を見に行こうかと思います。帰れると良いなぁ。。。病院へお泊りはノンちゃんには辛いことだけれどちょっとだけ頑張ってね。帰ってきたらおいしいご飯作っててあげるから。。。

CIMG2057.jpg

手術に出かける直前のノンちゃん。
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