2012/03/26 Mon

ご心配おかけしました。@蘭

パタパタと倒れまくった蘭ですが、ようやく落ち着いてきました。一日のうちに一度も倒れない日が現れて、先週はその日が続くようになってきました。

私自身があわてない事を努力し、若いソルトを上の部屋にあげました。ソルトとプラスが一緒になると蘭はぶつかられるのではないかとハラハラしているように見えたからです。ソルトが大好きなプラスにはちょっとお気の毒ですが、遊び相手は私たちがするほうが彼にとっても良い方向にむけられるのでひと先ずしばらくの間はこのスタイルで暮らそうと思います。

蘭の身体を心配してご連絡くださった皆様、まだまだ予断は許しませんがとりあえず元気になったご報告です。(^◇^)いつも我が家のわんこ達の事を気にかけていただきありがとうございます!

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2012/03/17 Sat

復活?蘭。

突然倒れたまま死んじゃうんじゃないかとハラハラさせてくれた蘭がなぜか昨日から異様に元気いっぱい。別に何かほかの薬を入れたとかもないんだけど、蘭が倒れた時にあわてて抱き上げるのをやめただけだ。


あ・・・倒れると思った瞬間には蘭のそばに行っているくらいずっと監視していたんだけど、それは抱いて落ち着かせたほうがいいと思ったからだった。獣医さんにも相談したんだけど同じ意見。普通はそうだよね。。。



でも、倒れた後、抱かないでいる時のほうが立て直しが早い事に気がついた。


蘭は身体をぶるぶるっとふるわせた後や、寝ているのにゆっくり起き上がるのではなく小型犬独特にぴょんと飛び起きた後とか、トイレが終わって「してきたよ〜」と嬉しそうに走ってきた後とか、出掛けていた私の出迎えで「お帰り!お帰り!」と踊りを踊った後とかにふらふらっと倒れている。たいていはすぐそばにいる時だからついつい抱き上げていたって言うのもあったわけだ。

14日の日、悲鳴のような泣き声をあげて倒れた後、【蘭が死ぬかもしれない恐怖】にビビった私はやたらに自分自身が不安定だったように思う。いつも自分がしっかりしていないと犬も不安がるよと人には話しているのに、蘭の動く先を監視し続けた。私が夜もおちおち眠れずにいるから肝心の蘭まで寝不足になった。


ダメなものはダメ…もがかずに受け止めようと15日、闘病日記に余り状態が良くないとようやく書いた。自分の気持ちが落ち着いたせいか蘭の【失神】の状態を冷静に見れるようになったし、蘭が横にいても一緒にゆっくり眠る事が出来た。そうしたら蘭は復活してきた。

失神する回数は減ったし、部屋の中を爆走したりする。ちょっとボケたのかなぁって思う節はあるけれど、日に数回起きる失神とうまく付き合えればもう少し一緒にいられそうな気もするようになった。なかなか食べなかった食事も少しは食べられるようにもなった。

パパは、お別れが近くなると急にすごく良くなったりすることが多かったよねって私の一喜一憂を冷静に見ているけれど、もしそうであっても、蘭が苦しくなく幸せな時間を過ごしている今を大切にしたいと思う。天使になってもいないのに、今からその時の事を想像して悲しがってる意味は無いのだから。。。

頑張れ蘭、頑張れ自分!
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2012/03/15 Thu

蘭の心臓発作頻発

3月に入ったあたりから蘭の発作がまた始まってしまった。ベトメディンを追加した後約4ヶ月、いい感じに過ごせてきたんだけれど。。。

蘭の発作は、てんかんのような発作とは違って急に意識が遠のいて倒れると言った感じのもので失神しているのかもしれない。タタタタタ〜っと走った後、立ち止まってブルブルっと身体を振った直後にバッタリって言う感じが多い。私がびっくりして蘭のそばに行くより先にすくっと立ちあがって何事もなかったように動くことが多い。

でも夜中に一度、そしてまた夕べ一度、二回も倒れながら叫び声をあげた。「ア〜」と言うのか「ギャァ〜」というのか、「キャァ〜」とも聞こえる。夕べ11時ころの発作の後はしばらく元気になれず長い時間不整脈が続いていた。同時に体もず〜っと震えていて、抱いてあげている私はいたたまれなかった。

こういうとき、何もできない自分。抱いて落ち着かせる事くらいしかできない自分。そしてその抱いた相手が蘭であるだけに、愛ちゃんを亡くしたあの瞬間が覆いかぶさってくる。






愛ちゃんは私の腕の中で逝ってしまった。





あの時私は愛ちゃんが死ぬとは思ってもいなかった。。。



神様まだ蘭を迎えに来ないでください。。。
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2012/03/07 Wed

Category: 虹の橋へ

訃報17歳10カ月。

5日前、マリン・キャンディーの弟にあたるシェルが天寿を全うした。享年17歳10カ月。5月には18歳の誕生日を迎える予定だった。


マリンが亡くなった少し後、シェルは浜田山から伊豆に引っ越した。暖かい気候がシェルの寿命を延ばしたのかもしれないねと元気だったころの話を少しだけした。シェルティーの17歳10カ月はとっても珍しいんだよ、凄いねよく頑張ったね、きっと上手な飼い方だったんだねと…。するとご近所には小型犬だけど21歳になる子がまだ元気でいるのよと聞いてなおびっくり。やっぱり環境って大切なのかもと思ってしまう。

10歳のころ癌が見つかり、2回の手術で命を取り留めた。その後心臓が悪くなったけどそれでも頑張ってきた。亡くなるその日までベンと同じように自分の力で立って歩いて、ヨーグルトを自力で食べたそうだ。

まだまだ大丈夫だわって安心した途端逝ってしまった。。。荼毘に伏すのが辛くて5日間傍に置いていたと言う。そして広大な庭の片隅にいつでもお参りできるようにと葬ったそうだ。本当はそれが一番なのかもしれないなって思う。あの綺麗な毛並みもそのままに全てが土に帰る事は火葬が主流になる前は当たり前のことだった。

自分の祖父や祖母は土葬だったから亡くなった事は悲しかったけれど、お墓にいると言う感覚がいまだにあり、死に対してショックは大きくなかった。生まれて初めて火葬を経験した時、そのショックは計り知れないほど大きかった。何故燃やさなくてはならないのか、その答えは今も自分の中には見つからない。その時が来るたびに混乱し体が震える。


それでも何回も人との別れ・犬たちとの別れを経験し、いつしか火葬することを受け入れるしかなくなっている自分にとって、自宅の庭に葬れる自由は羨ましくもある。良かったねシェル。そのままの姿で眠っているんだね・・・。


シェルはマリンとキャンディーの母親のアンちゃんの最後の子供で、確か父親はヒューゴだったと記憶している。大好きなヒューゴの子供だったから、そして自分の犬たちの兄弟だったから、知り合いの人が飼わないかと探して見つけたのがシェルの飼い主さんだった。マリン達とは約2歳離れた弟だった。ちいさめのゴージャスな子で成犬になるとまるでタヌキのように丸々と毛をしょいこんでいた。どちらかと言ったらキャンディーに似た子で愛想の良い子だった。

息子の幼稚園時代のママ友だった友人に、マリンの弟なんだけどお宅の末っ子にどうかしら?と声をかけた。とんとん拍子に話が決まってシェルは杉並在住となった。たまにお散歩で会うシェルはいつも楽しそうにママさんの顔を見上げ颯爽と歩いていたっけ。

シェルのおかげで本当にいろんな事を乗り越えられたわと話す友人。そうだったよね、あの頃私たちはまだ若くて、子供たちも小さくて、いろんな事があったんだよね。。。

犬が家族になった後、いろんな事に広がりが起きる。仔犬の時代には本当にいろいろ手がかかって大変だったけれど、それは長くてもたった1年くらいの間の事でその後に続く長い時間は、人生にこれほど喜怒哀楽がはっきり現れるのかと思うように日々が送られていく。それは人生という本の大きな一つの章を作るほどのもので、犬と暮らした時間の穏やかさに、華やかさに驚くばかりなのだ。その彼らが亡くなった後、この犬と出会えて人生が変わったわと言えたならそれは犬にとって最高の栄誉なのだろうと思う。

【シェルを私たちと会わせてくれてありがとう】とお礼を言われた時、何と言っていいかわからない何かが私の中で完了した気がした。。。


そして、17年10カ月という寿命は私にまたひとつの希望を持たせてくれた。今そばにいるダッシュがシェルの記録を破れるように一緒に頑張ろうと思う。マリンは16歳7カ月という寿命だったけれど、実は16歳と1カ月で寝たきりになっちゃったからまずはそこをクリアすること。それができたら目指せシェルの17歳。

シェル、ありがとうね。君と出会えて本当によかったよ。頑張ってシェルみたいにみんな長生きさせられるようにやってみるよ!ゆっくりおやすみなさい。合掌
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2012/03/06 Tue

Category: 老犬

いつだってペットロス。

気がつけば初めての犬のマリンとキャンディーがこの世を去り、マリンの最初の息子シーマも最初の娘レインも天使になってしまった。図らずもマリンの娘クリスと同年齢のデイジーも昨年病に倒れこの世を去った。まだまだずっと一緒に時を重ねていけると思った子だったのに。

デイジーが天使になって、20年来の付き合いのIWASHIMIZUさんから来た犬が1頭もいなくなった。でもうちには最初に受け継いだ犬たちの血を残しそれは今も脈々と続いている。本家で途絶えた物も細々と繋ぎ続けている。だから、我が家とIWASHIMIZUさんは永遠に縁が切れることは無い。

4月の誕生日には16歳を迎えるというのに、その年老いた年齢を感じさせないダッシュとともに生きる日々は、彼よりも年下の犬たちですら当に寿命と呼ばれる年齢を過ぎているのに、元気に暮らしていることを当たり前に思わせる。犬たちの年老いた風体は人よりもずっと判りにくくて、豊かな毛に覆われているようなシェルティーやポメラニアンならなおさらなのかもしれない。人間なら、調子の悪そうな様子がなくても、病院で検査でもすれば何かしらひっかかるような年齢になっている。

当たり前の時間が当たり前のように過ぎて行く事はとても幸せな事なのだけれど。。。

我が家の犬たちがいつしか天使に戻る日が近づいてきていると言う事は、同じように、嫁がせた犬たちも年を取り、そんな年齢に近づいている。ファミリーのページを直しながら、ふと2000年生まれの犬たちが今年は12歳になるのだと気がついた。いつまでもうちから嫁いで行ったままのように仔犬の時の記憶だけが鋭敏で、会う機会の少ない子たちになるとたま〜にあの子は元気なのだろうかと気にかかる部分もある。

さだまさしの名曲じゃないけれど、産ませて育てた側としては、
【元気でいるか?家には慣れたか?友達できたか?今度いつ会える?】の心境だ。相手が人ならもっともな事だけれど、こればっかりは犬だからそう思うようにはいかない。実際に成長した姿や顔を見るのが無理でも、せめて写真の一枚くらいって思うのは、人手に渡したのだから【ワガママ】って言うものなのかもしれない。たいていが嫁がせて5〜6年も連絡を取り合えればいいほうで、いつしか疎遠になっていて、ある日突然、大きな病気や怪我をしたとか、こんな病気になって治療中だとか、亡くなったとか・・・そういうことでしか連絡が来なくなっていく。繁殖に携わっている以上、産ませた仔犬たちがどんな病気になったとか、どんな事で亡くなったかが知らされることはとてもありがたいことであるし、出来るだけ知る必要があるけれど。。。

でも・・・○歳になりましたという写真つきの連絡が何よりうれしい事で、それに付随して今、こうこうこれこれなのですよと近況の中に体調(病気)の事や老後に向けての事の相談なんかがあるならば耐えられる事でも、さすがにいきなりは精神的にきつい。なぜならそれは単なる報告にすぎなくてどうすることもできない事が多いからだろうと思う。知った後、ずっと気にかかり続け、とても苦しい。

懇意にしている人たちの多くは愛犬に何かあると決まって動揺し、泣きわめく人もいれば、おろおろして何も手に着かない人もいるし、病気や怪我を何が何でも直すのだと尋常じゃなくなったりする。普段はのんびりしているのに、人が変わったようになったりすることもある。それはある意味では家族に何かがあったときと同じ表現で、私には受け入れられる。それは自分もそうなることが多いから理解できるのだろうし、一緒に暮らす犬でなくても気持ちを同化してしまうからもあるだろう。

でも、実情はなかなか…。一番辛かったのは何かしらアドバイスをした後、「その後どうなっているのか…。」を知ることができない場合。知るには自分から確かめなければならない時だ。自分自身が愛する犬を失ってまだ立ち直れていない時は結構堪える。その後どうなったのか、良くなったのなら良くなったと結果が悪いのなら悪いのだと、どうして伝えてくれないのかなぁと悩んできた。悪い報告ばっかりじゃ心が折れる。。。年中無休のペットロスにはまり込んだ。

だから今は、段々と気にし続けないようにこらえる様にした。

きっと大丈夫だから連絡なんかする事も忘れるくらい幸せなんだと思うこと。それが自分にとっての回避策となった。結果は違ってもその事で連絡をすればよかったのにと自分を責めるのはやめたのだ。

必要としている人は必ずコンタクトを取ってくる。そうでなければあえて連絡をすることは無くなっているのだと言う事。その条理を納得するまでずいぶんと長い時間がかかった。自分の門はいつでも開いておけばいい。その門をくぐる人を受け入れればよいのであって、門の外を気にして自分が出て行っていたら、本当に大切な門の中を守ることができない。外に行くべき人は外に出て行き、中を守るものは中にいなければならない。サッカーのゴールキーパーみたいなもんかなぁ。。。

今年の誕生日で、16歳のダッシュ、15歳のサム、14歳のエリーと蘭&ノン、メグとミミ。我が家の長老組と無事にこの一年を過ごせるように、毎日奮闘中だ。少しでも長く幸せに一緒に暮らしていけるように、いつだってペットロスを抱えているからこそ、年寄りや仔犬に優しくできるのかもしれないと思う。犬との時間は長いようで短い。それを肌で感じている人は意外に少ないのかもしれない。自分達人間が年を取って行けばなおさら、その時間の経過は早くなる。だから小さな幼いものに無理な事を押し付けず、年老いた者たちが覚えたはずの事を忘れてもそれを当然のこととして受け止められる愛情や寛容さを常に持ち続けていたいと思う。

ベンを失ってご飯ものどを通らない両親を目の前にして、改めて犬の存在の大きさを、ベンという犬が父や母に多くの思い出を作った事を痛いほど感じさせられた。いつだってペットロスだけど、先に逝ってしまった我が家の10頭の娘や息子たちにありがとうを、そして残された家族たちに頑張ろうと言い続けて行く我が家でありたいと思う。
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