2011/05/30 Mon

49日と命日と。。。

レインが天国に旅立って7週間、49日と言われる日が来た。この日までは魂が家にまだいるとされ、喪に服す期間と思っている。犬たちと暮らし始めて長い長い時間がたった我が家では毎月のように命日もやってくるし、この5月はミールの命日が27日、3年目だった。今週6月2日はジェニーの命日、旅立ってもう5年だ。5年くらい過ぎてようやくそばにいない不自然さが薄らぐように思える。時間が解決してくれるとは言うけれど、今だって何故ずっとそばにあの子たちがいないのか考えると泣けてくる。。。

bara_hana_1.jpg
友人が送ってくれた薔薇の花↑【レイン女王様にはやっぱり真っ赤なバラでしょ!】というコメント付きで。。。thank you!



犬たちが子犬や若犬の時には過ぎゆく時間は笑っている時間のほうが多くて、仮に泣くようなことがあってもそれにはまだ希望がある。残された時間もまだ膨大にあるから、いくらでもやり直しができる。だけど、年寄りの犬を目の前にした時残された時間への限りを感じたら希望が少ないだけに何がベストで何がベストではないのか判らなくなる時もある。

今までは自分でもそれなりに納得のできる判断をしてきたし残された時間もあった。今回のレインとの別れはあまりにも時間が少なかったことと、あまりにも急な発病で、今になって思うと「冷静」でいなければならなかった自分にそれが欠けていたようにも思える。

今頃になって言うのもなんだけど、治療するべきだったのか、否か。。。そんなところでまだ結論が出てこない。レインがなってしまった病気で亡くなったのではなく、たぶん肝臓が極限にダメージを受けたせいでの臓器不全だったのだろうと想像できることが、「やれるだけのことをやってあげたのだから…」という想いになれないのかもしれない。「あれで良かったのだろうか…?」という想いが残っている。でも、先生は獣医としてできるだけの事をしてくれた。でも飼い主としての自分はどうだったのか?そんな変な矛盾。きっと答えは見つからないままなんだろうなと思うけど…。

ミールの時のように、最初から腎臓という器官が弱ってしまってそれを何とか持ちこたえさせていくための治療選択なら、たとえその治療に効果がなくなるまでやり続けたとしても、今のような想いにはならないのだ。健全だったはずの器官にダメージを与えてしまう治療しか選択できないという矛盾に今も後悔が残る。

もっとも、その時点で治療しないと言う選択肢がとれたのかどうかは判るはずもない。どんな人でも「治療しない」ということを選ぶのはある意味で「見殺しにする」ってとれてしまうだろうから。。。自分の中の悲しみは、治療すると言う選択肢が必ず「ベストな選択」に当るとは限らないと感じているのに、自分の愛犬ですらなかなかその選択をできないことかなぁと思う。

それはついさっきまで、もっとずっとずっと一緒にいられると信じていた愛犬との別れをいきなり突き付けられたことへの動揺が毎回大きいから、冷静に考えることができなくなってしまって、もがきにもがいてしまうからだろう。だからこそ、少しづつでも天使になった子たちから学んだ多くの事を今を生きる子たちのために正しく活用しなければ申し訳ないと思う。これからもまだまだ間違いを繰り返し、そのたびに犬たちに謝りながら暮していくのだろう。

今までごめんね、でもこれからもよろしく。。。
にほんブログ村 犬ブログ 犬 闘病生活へにほんブログ村

2011/05/14 Sat

あっという間に。。。

レインが天使となって虹の橋に旅立ってひと月が過ぎてしまっている。月命日の日は私の病院の日で、予想どおり状況は悪化していた。

看病しているときは必死になっているせいか自分の体は実に頑丈にできているなと思うくらい頑張れている。でも、極度なストレスに適うはずもなく、その結果は大体ひと月くらいたってからだんだん現れるのかもしれない。

ひと月前の今日、レインが逝ってしまったんだと言う想いは朝早くから心を押しつぶしていく。当然血圧だって低いわけもないし、動悸だってしてくる始末だ。先生は「気持ちの問題の部分もあるしね、来月まで様子を見てそれでも下がらないのなら考えましょう。」と言ってくれた。

病院で自分が診察してもらっているけど、やたらに「犬が…」「犬が…」という言い訳に先生も徐々に慣れてきたらしい。新しい子犬が産まれてその子を残すんだから頑張らないとねと最初のイメージとはずいぶんと優しい先生だなぁというコメントまでもらった。

そうだよね、レインの顔の柄に出ていた目の上の黒い柄が、たとえ生まれ変わりではなくても、今回うちの子になる運命だった印だろうと思っているし、12歳って言う短い生涯を閉じてしまったレインの分も、プラスが私たち家族を元気づけてくれるのだろうと思う。

今までに一緒に暮らしてきた多くの犬たちからもらったものに、また新たにいろんなものを足してくれることを期待して「プラス」と名付けた。レインの血を色濃く受け継いだチビすけはどんなシェルティーに育つだろうか。プラスはレインの孫になる子だ。今はよわっちそうな子犬だけれど、きっとレインみたいに頑強な大人に育つと信じている。天国からレインが守り神としてあの子を見守ってくれますようにと願いながらプラスのトレードマークの黒い柄にそっとキスをする毎日だ。

これで良いんだよね、レイン。
にほんブログ村 犬ブログ 犬 闘病生活へにほんブログ村

2011/05/09 Mon

同じ病気で…

エバンス症候群。。。不治の病。同じ病気で同じ日に亡くなった子の飼い主さんからメッセージをいただいた。闘病日記をつけたことを、内容はどうあれ良かったのだと思える瞬間だ。可愛いあの子がそばにいなくなってまだひと月。まだ動揺は隠せない。そんな中でこの日記に感想やメッセージを書く気になってくれたことをとてもうれしいと思っている。

愛犬を失ったとき、その衝撃は愛が深ければ深いほど、大きくて重たくて、底なし沼にはまりこんでしまったかのように、もがいてももがいてもいつもの自分に戻って行くことができない。

毎日を泣き暮らすこともあるだろうし、涙一つでてこなくなることもあるだろう。食べ物を口に入れてもまるで砂を噛んでいるかのように味気なく、ふと気がつけば時間だけが過ぎている毎日。何をどうやって過ごしてきたかの記憶すら残っていないこともある。

愛犬を失った後、多くの人はもうあんなに悲しい想いをするのが辛いから犬は二度と飼いたくないと言う。でも私は違った。彼らが一緒にいない生活は考えられないくらいいるのが当たり前で空気のように絶対的に必要な存在だ。時が過ぎ、目の前には多くの愛犬たちが暮らしている。

流れる時間を同じように過ごし、悲しみも喜びも共に分かち合い、病める時も健やかなる時も互いを敬い、慈しみあい・・・神さまが二人の間を分かつまで。。。どこかで聞いたような文句だ。生まれ育った環境の違う生涯の伴侶となる相手と結婚する時に誓う約束。

そんな存在が自分より先に失うかもしれないことは重々判っているし、それは自分の親たちが先に逝ってしまうことに似ている。悲しみは途方もなく大きいけれど、一緒に暮らした時間は何物にも代えがたい輝く幸せなものだし、相手が逝ってしまった後にも決して失われるものではない経験となる。

自分に残された時間が、まだ犬の生涯を看取れるだけ十分あるのなら私はまた新しい命の保証人となろうと思う。不幸になってしまう犬たちがたくさんいる中で1頭でも多く自分と暮らす犬を幸せにすることは先に虹の橋の袂で待っている子たちへの供養でもあると思っている。

奇しくも同じ病気になり、同じ日に天使になったワンちゃんの飼い主さんもきっと失った子と同じように幸せにしてあげられる新しい命の保証人としてまた小さな一歩をいつの日か踏み出してくれると信じている。。。
にほんブログ村 犬ブログ 犬 闘病生活へにほんブログ村
1/1