2009/12/19 Sat

Category: つぶやき

今年も残すところあとわずか・・・

今年も残すところ後わずかとなりました。

我が家の基礎となったマリンが天使になり、その回りに存在した沢山の知り合った犬たちも次々と天使になって行きました。我が家でもまだ自分の中では気持ちの整理をつけられないままの悲しい別れもありました。

同じ世代を生きた犬たちがこの世に存在しなくなった事実は時の流れがあることをはっきりと自覚させられます。今ここにあの笑顔があの優しい感触がないことをどれほど恨めしく思い出すでしょうか。。。

不思議なもので、逝ってしまうときには年相応の、かかった病気なりの、闘病したままの姿かたちになっていたというのに思い出されるのは若く美しく輝いていたときのあの子達の姿ばかり。。。きっと虹の橋の袂ではその姿に戻って待っているのだろうなとぼんやりと考えます。

マリンとは予想していた以上の年月を共に謳歌し、喜びも悲しみも犬と暮らすことの全てに勉強させられた毎日だったように思います。その歴史の重みを肌で感じ続けていくことがあの子との暮らしの意味であり、これからの犬たちに何かしらの効果をもたらすものとなるのだと信じているわけですが、その中には疑問を持たなくてはならないものも沢山あるのだと解った年でもあります。

昔は確かに犬たちは若くして亡くなることも沢山ありました。たいていはフィラリアという寄生虫によってだったり、ワクチンで予防できるはずの感染症であったり・・・。そのために今の犬たちのように老化によって引き起こされる病気が発見されたり、人と同様の大病を患うことは知られていませんでした。

現代のように飼い主が犬たちの体について敏感でなかったことも関係してるだろうなとも思いつつ、その時代でも長生きする犬たちも沢山いました。今のように栄養素を完全に網羅してあるドッグフードがあったわけでもないし、思い出すのは味噌汁かけご飯を食べていた犬たちの姿ばかりです。

3歳のときに祖父に買い与えられた成犬になっていた雑種の犬はワクチンも打たずフィラリアの予防もされず、蚤やダニの予防もなく、食事は人のあまりもので、紐にもつながれずに家を守り、私が14歳のときに祖父の墓参りの帰りに倒れて絶命しました。たぶん12歳だったはずです。。。

当時は獣医さんなども知らなかったし地方の田舎でした。ドッグフードもあるのはありましたがビタワンというものでした。。。主食で使う家はほとんどない時代だったんです。

マリンと暮らしはじめていろんなことを知るようになりました。完全栄養食ののドッグフード。ワクチンを打つこと。フィラリアの予防をすること。蚤やダニですら薬で予防できること。具合が悪ければ獣医さんにかければたいていの病気が治ること、犬には教えなければならないことが沢山あることなどなど・・・

犬の病気は人の病気と同じものがあること、治療もさまざまで人並みの治療が受けられること・・・。

その最後にはいつかは彼らのほうが先に旅立つこと。。。

犬たちと暮らす時間はどんなに永遠を望んでも限りがあって、人間の家族と同じように別れが来ること。悲しいことにそれは必ず彼らのほうが先であること・・・。

決められた時間の枠の中で犬とどんな暮らし方をしていくことはお互いに幸せなのか、今年マリンを送ることでなんとなく解ったように思います。今までしてきたたぶん間違っていたであろうことへの反省と、これから選んでいかなければならないことをがんばって、天国に行ったマリンに【ママ、それでいいのよ】と言ってもらえるように今までを振り返って修正していかなければならないのだなぁと感じています。

犬たちには何が必要で何が必要ではないのか・・・私のためにではなく犬たちのためにナニが最善の方法なのか来年から初心に戻ってまた歩き始めようと思います。。。
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2009/12/10 Thu

Category: つぶやき

理不尽な話

本家の日記で頭に来てちょっと書いちゃった。

日記はこちら。

ニュースを読んでもらえればわかるだろうけど、こうした輩がいるからいろいろ法律も変わるんだけど、それにしたってこのやり方ちょっとひどくないかな?

近所からの苦情で毎年50頭も殺処分してきたって???売れ残っている犬を???はぁ〜???

ナニが命が尊いもんなんだ?

思いっきり血圧が上がりました!
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2009/12/09 Wed

Category: 虹の橋へ

また1頭が天使になった。。。

友人の愛犬が天使になった。14歳と少しだった。我が家のシェルティーよりもずっと大きな体のボーダーでこの年齢までがんばる犬はやっぱり少ないほうだろうと思う。

年老いてからの彼女は若いときと何も変わらずに家族と共に出かけ幸せだったろうと思う。若いころのちょっとした事件を知っているだけに友人の下に戻れて良かったなぁと昔の彼女の運の強さを思う。

友人と仲たがいしたのはその事件の前触れのとき。【やめたほうがいい!】という忠告を無視された悲しさはその後に発展する事件で【ほら見たことか】と変わった。友人だからこその、ともすればねたみとかやっかみと捉えられてしまうかもしれないような忠告の最終結果は【だから言ったのに・・・】で終わる。

でも、そこには犬たちが関わっていて、犬たちが幸せでいるためにと考えた上でのお互いの意見の相違だったのだから【どうしよう】となったときに差し伸べられた手をつかむのが友達なんだろうと思う。1年近く口も利かなかったけれど、このことがきっかけとなってただの知り合い程度の友人から大切な友人と変化したと思っている。そのときの中心があの子だったから、眠るようになくなったよとの知らせは涙は流れないけれど心の中で【いろいろあったけどいい人生だったよね幸せだったよね】とすんなりと言えた。

年老いて若いころの精彩を失った犬たちと老化という現実と向き合いながら暮らす経験が多くなると元気いっぱいの犬達とだけ暮らしてきたときとは違うことがわかる。


犬たちの時間は人とは違って急速に老化し急速に死に近づく。子犬から育てるときに痛感するだろうけど兎角犬たちからの信号は捕らえにくい。正常な成長期でさえ難しいと思うのに、耳が聞こえなくなったり目が見えなくなったりぼけ始めてきたりする犬たちから送られる信号をつかめるのは至難の業だと思う。

ほんのちょっとした病気の兆候を見逃すことが多いのは人が犬じゃないからなのかもしれない。それに犬たちは人のように細かく表現してくれるわけではないから観察力があり経験をつんでいたとしても気がついたときには残りわずかな時間しかないと知らされる。。。

我が家の犬たちが10歳を超えるとお誕生日を祝うのは、残りがあとわずかであると実感を持たなければならないからなのかもしれない。10歳まで来たね、後残りは何年かしかないんだね、これからの一年も幸せに暮らそうねと約束の確認の日みたいなもんなのだと思う。。。


私や友人の愛犬たちが長い時間ドッグスポーツを続けることができたり、寿命を超えて長生きしていく傾向があるのは、若いときに決して無理なことをしていないからだ。競技をやめてからのほうがなおさら、栄養にも気を使うし体調の管理にも気を使う。そして引退しても競技会には出ないだけでいつもどおりに遊ぶ。老化の程度にあわせて徐々に回数や時間を減らしていく。

若い時期に限界を超えるように動かした犬たちの結末を知っているから、私は決してやらないことがある。でも・・・そのことについての進言は1・2年では出ない答えだし、聞く気がない人が多いのも確かだと思う。

。。。長生きして欲しくないのかな?競技でいい結果が出なければほかの犬に変えればいいと思うのかな?。。。たまにそんなことすら考えるときもある。

愛犬家ってどんな人を言うんだろうってね。。。

犬を飼う人がみな本当の意味の愛犬家ではないという現実。いつの日か犬と暮らしている人は全て愛犬家である日が来たら処分される犬もいなくなるだろうし、物のように扱われる犬もいなくなるだろう。

犬の命を作るものの一人として1頭の犬の一生にホンの少しでも関われたことをありがたいと感じ、その経験を積み重ねて次の世代たちのために生かしていくことを約束したいと思っている。

長い間お疲れ様だったね、天国で彼が待っていたでしょ?ちびっ子も元気いっぱいの姿に戻っていたでしょ?こちらの世界ではまだみんながんばっていくからさ、【ちゃんとやれよ〜】って見守ってくださいね。

君に会えたからボーダーが好きになったんだよ。ゆっくりお休み。。。
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2009/12/04 Fri

Category: 虹の橋へ

ゆっくりおやすみ。。。

また大好きだった素晴らしいシェルティーが11月25日に亡くなった。マリンよりちょっと年下の美しいシェルティーだった。

初めて見たのは3ヶ月のとき。当時マリキャン以外にうちで生まれない限り人から買いたいと思ったことがなかなか無い中に、「うわぁ〜!」と思った1頭だった。ふわふわのコロコロのそれでいて凛としたちびっ子だった。

オーナーに向かって【いいな、いいなこういう子が生まれるんだ、いいなぁ〜】と生意気に賞賛の言葉を送り続けた。当時その子はとてつもなく魅力的な犬でマリンの親元が作る犬以外に初めて欲しいと思った犬だった。

すでにブリーディングを始めている今では、お金を払ってこの犬を買いたいと思うような子犬に出会うことは稀だ。マリンと暮らし始めてから17年。その中で欲しいと熱望した犬はたった3頭しかいない。どの犬も途方もなく活躍し、自分の元にいたらこういう結果は出せなかったのだろうからとうらやましく思いつつそれでもあんな犬と暮らしたいと願う自分がいる。。。

最初のうち犬を飼う人はブリーダーから購入するとどうしても自分の飼った犬のラインが良く見えるものだ。もちろん好みっていうやつもある。でも次第にいろんな犬を見る機会に恵まれ、ドッグショーという特定の範囲の中に納まらなければならない姿かたちの理想像が出来上がってくると、犬舎は関係なく良いものは良いと言いたくなって来るのが当たり前だろうと思う。その良いと思うものを取り入れられるか、られないかは運しだいだと思うけれど。。。

ショーリンクサイドでライバルの犬に拍手を送って、観戦している仲間に叱られたりにらまれたりした遠い昔を思い出す。あの当時から、誰が作ったのかとかどの犬の子供なのかとか、自分の中には関係がないのだなぁとうっすらと思っていたようだ。生まれてきたその固体が持つものだけにその意味がある。。。そんなおかげで自分なりに良いなと思う犬を見つけるという楽しみ方は今もドッグショーに行かなくても脈々と続いている。

ドッグショーの世界もドッグスポーツの世界も埋もれている犬は沢山いる。それはハンドラーの力量もあるし、その犬に関わるいろんな人間関係・果ては利害関係も加わってくるからだろうか。良い犬は良いと誰の目も気にしないで評価し合える日が来たらいいのになって思っている。良い犬は多くの評価できる人たちから素晴らしいと評価されるべきなのだから。。。だから自分は相手が嫌がらない限り応援という背中を押し続けることをしたいのかもしれない。

またあんな犬に出会いたいなって思う。一目で魂を奪われてしまうような魅力的なシェルティーに。。。あなたのような記憶に残る素晴らしい犬をいつかこの手で作れますようにと願いつつ、ゆっくりお休みなさいと天国に向けて合掌・・・。
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