2012/01/13 Fri

Category: 虹の橋へ

愛するものと別れた時に…。

先日、知り合いのお家で8歳の猫が亡くなった。小さいころから病弱だったそうで、それはそれは大切に育てていた。有名な大学病院にも通っていたし、何かあれば獣医さんに駆け込んでいくようなお宅だ。でも…命あるものとの別れは必ずいつかはやってくる。その日がたまたま予想より少し早くそしてそれが突然だった時に当事者は悲しみのどん底に落とされる。たくさん泣いて、ずっとご飯が食べられなかったと聞いた。泣かないようにと思うけど、ご飯も食べなきゃって思うけど、何も手に着かないし、何も考えられない。そう話す彼女に、それでいいんだよと伝えた。

対照が犬や猫でなく人であったなら、悲しみに打ちひしがれている事は泣きわめこうが、食事を取らなくなろうが、黙り込んで何もしなくなってしまおうが窘められるようなこともないだろう。でも多くの場合、人の死と愛犬や愛猫の死は同じとは考えてもらえない事が多い。

無神経な言葉かけでより傷つくこともたくさんある。

気持ちの置き所がないと話してくる人たちの多くが、死んだ犬や猫の事をいつまでも思い続けていると悪さをされるとか、さっさと思い出になるようなものは処分しろとか、いつまでも泣いているなとか、お骨を納骨しないままだとたたられるとか…それはもう聞くに堪えない出まかせを知ったかぶりの通りすがりに聞かされ傷つけられる。

今は人とペットが一緒に葬ってもらえるような寺院だってできているのに、そんな事を言えばまるで悪霊にでも取りつかれるのだくらいな話をする人までいる。なんだかね…。何言ってるんだろうね…。

日本には【犬畜生】などという恥ずかしい言葉があるくらいだから、仕方がない部分かもしれないけれど、家族が亡くなって霊魂となったら、守ってくださるものに変わるのであって、取りついて祟られるなんってよっぽどの事をしてこなければありえないでしょ。。。家族なんだよね?家族。きっと愛犬家を気取っていても実はそうじゃなかったのかなって不信感も起きたりする。でなければ、本当に犬や猫を家族として共に暮らした時間がない人の言葉と思う。この子はうちの子で幸せだったよと胸を張って言えるようなそんな暮らし方ができていたら何を言われたってくじけることは無い。

私はずっと信じてる。亡くなったあの子たちは【虹の橋の袂】で私たち家族がそろう日を待っていてくれるって。。。そして私たちの生き様を必ず見守っていてくれるんだって…。だから傍にいなくなってしまったら泣きたいだけ泣いて、悲しみたいだけ悲しんでいいと思う。そして気がすむまでそれをしたら、涙を拭いて前を向き、あの子に与えた幸せを残された子や、次の子たちのために費やせるように歩いていけばいい。

そしていつだって、思いだしたらまた泣いてあげて欲しい。その子があなたのそばで幸せに暮らした事を忘れないで。。。それがわたしは彼らへの愛の証しだと思うから…。
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