2014/03/28 Fri

Category: 独り言

桜の季節、はなまるが終わりました。

今日で毎朝見ていた「朝ズバ」も、「はなまるマーケット」も終わるそうだ。朝ズバはみのさんが好きでよく見ていたけれど、あんな事件で降板してしまい凄く残念だった。後を引き継いだ若手のアナウンサーががんばっているのが好印象の番組だった。

さて、最後のはなまるが始まった。ちらちらテレビを横目で見ながらこれを書いている。

はなまるマーケットは17年半続いた朝の長寿番組。。。毎朝洗濯機を動かしながら料理のメモを取ったりして楽しみにしていた番組の一つ。主婦の定番といったところか…。考えてみれば、17年半という長さはダッシュが生まれた半年後に始まった番組だったんだと感慨深いものがある。やっくんも岡江さんも老けたなぁとにやついてみていたが、自分もなのだと苦笑いしている。

ダッシュは生きていれば今年で18歳になったはずだった。今はもうこの世にいない。一緒にいられた時間は長いようで短い時間だった。どんなことにも始まりがあり、また終わりがあるんだとぼんやりと解ったような気がする。

今は幸いなことに誰も具合が悪くて心配な子がいない。お年寄り軍団はいるにはいるが年寄りだなんって感じさせない元気印の奴らばかりで、新人たちはいたずらばかりだし、ようやく中堅所が良い感じに仕上がってきたかなと感じ、これからまた新しい命が生まれてくる。昔ほどのんびりゆっくりテレビを見ていられるわけでもなくなったけど。。。

この数年怒涛のような毎日で神経が休まる日がなかった。体も思うようにならなくなったし、目もすっかり悪くなった。集中力も格段に落ちた。
年を取ったのだなぁと痛感している自分がいる。同じ時代を生きた愛犬たちが皆旅立ち、また新しい時代を背負う犬たちをはぐくむ時期が始まっている。

毎年のように愛犬たちを並ばせて撮影してきた桜の季節がもうじきやってくる。昨年もおととしもダメージが大きすぎてそんな気になれずに撮れなかった分を今年はたくさん撮っておきたいと思う。きっとあの子たちも虹の橋のたもとで「お花見」しているだろうから。。。

杉並に嫁いで30年以上たち、見慣れた桜の木々もまた年老いてきた。見事なまでに花を咲かせ続けられるのが何十年あるのか私は知らないけれど、老木の傍にまた新しい桜を植えておいてほしいと思う。数十年たった見事な木は美しく神々しいほどだけど、いつかやはり寿命がやってくる。私の大切な家族だった愛犬たちと同じようにいつか尽き果てる日が来る。だからこそ、次の世代を育てておかなければならないのだと思う。しばらくの間は先人たちのように素晴らしい結果は残せなくても準備を怠らなければ必ずあとから結果は花開く。

太く大きくなって見事な花を咲かせるようになった近くの公園の桜を見てはこの公園ができたのは平成元年の前の年だったと思い出す。昭和63年春、この公園の開園とともに桜の木は26歳になった。子供たちとの思い出と、愛犬たちとの思い出を全部みている桜の木。最初あんなに細く弱弱しく大した花も咲かなかった木が、多くの人に慈しまれ手入れを受け、自然に立ち向かい、大きく育った。お花見の季節は多くの人が集まるようになった。

はなまるが今終わりました。

「いつも心にはなまるを…」やっくん、岡江さん番組にかかわった多くの人たち、毎朝たくさんの情報をありがとう!

一つの番組が終わるだけなのにまさか泣くとは思わなかった。ボロナキです…。
有意義だった時間をありがとう。毎日の習慣をありがとう!
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2014/01/09 Thu

Category: 独り言

犬のQOLを考える。。。

犬と暮らしていれば多かれ少なかれ何かしらあるほうが当たりまえで、何事もなく生涯を全うできたとしたらそれは本当にありがたい奇跡のようなものだと思っている。意図的にせよ偶然にせよ、飼い主がやってきたことがその犬の生涯にピントがぴたりと合った結果なのだろうから。。。
同じ家に暮らし同じ血統で同じ食生活でも同じ病気になるとは限らない。もし同じものになるとしたら、それは遺伝疾患か、環境要因によるものだろうと思う。できるだけ病気などとは対面したくないのだから環境による要因があるようなら積極的に取り除くことは良いことだと思う。

犬の寿命は長いほうでも15年くらいが目途のようで、我が家の犬たちも15歳を超えて生き続けている子は少ないほうだ。日本人の平均寿命が82.59才とのことだが、犬の15歳が日本人の83才だとしたら犬の1年は日本人の5.5倍にあたる。

東京都家庭動物愛護協会会長・須田動物病院院長のデータによれば犬の20歳を人間の100才として比較すると人間と非常に類似しているそうだ。それは1930年当時も、1987年もだ。
今から5年前の2009年には犬の平均死亡年齢は15・1歳。現在のデータがあればたぶんもう少し伸びているのではないかと思う。
ここで明らかにされている年齢は死亡した年齢であって、実は健康で暮らしている寿命なるものがありそれを健康寿命としている。その健康寿命はもっともっと短いのだ。

犬たちが生きているという大切な時間は「健康寿命」のことであり、こちらの先生が定義している「心理的,生理的に自立している」ということが彼らにとっても私たち飼い主にとっても最も大切な部分なのだろうなと思うのだ。

犬のQOLを考えるとき、病気と戦う際に、彼らの生活の質を上げるという部分に何を重きとするかは飼い主の判断にゆだねられる。

昨年までに21頭の犬を見送ってみて、それぞれの病気と闘ってみてひとつ解ったことがある。それは健康寿命と死亡寿命の差を出来うる限り短くすることが犬にとっても飼い主にとっても一番の幸せなのだということだ。

犬は悲しいことに人間ほど知能が高くはない。だから、なぜ痛いのかなぜ苦しいのかを理解することはできない。人間だけがその理由を知り対処方法を掴むことができる。
それは獣医学の発展によって今は人間並みに高度なことまでできるようになったからだろう。治療の範囲も昔に比べたら限りなく広くなった。
そして犬の寿命は人のおおよそ5倍以上の速さでやってくるとするならば延命を考えるとき、犬の年齢を人に置き換えた換算で考えることも大切だ。

ではその中で犬にとって最善の方法とはなんだろうかと考えてみる。

先日、15歳を迎えようとしている大型犬の後ろ脚に癌らしきものができたという相談事があった。治療方法は4つ、選択肢は5つ。

一つ目は癌ができた足の切断とその後の抗がん剤治療。
二つ目は癌の部分のみの切除とその後の抗がん剤治療。
三つ目は抗がん剤治療のみ。
四つめは緩和的治療。つまり痛み止めやステロイドによって延命のみを目的とする治療。
五つ目は苦しみが酷くなったときに安楽死。

五つ目の選択肢は最初の4つの選択肢ののちに起きうることかもしれないがそれはいつやってくるかもわからない一つでもある。

こうした選択肢を選ぶ基準はどこにも誰にもない。しかし獣医さんは積極的治療(1から3)を選ぶことのほうが多い。それは「今できる最善の方法で命を永らえる可能性のあるものはどれか」という視点で見ているからだ。
実は一緒に暮らしている飼い主の側は視点が同じとは限らない。

飼い主は犬が元気に暮らしていける方法を望むことのほうが多い。実際、私はいつもそうだった。

生きとし生けるものはいつか必ず死がやってくる。その死はできる限り穏やかなものであってほしいし、その時までの時間ができうる限り痛みや苦しみから解放されるものであってほしいと思っている。

検査に関しても結果として病名が確定されたのちに投薬や治療方法が緩和的治療とはかけ離れたものが行われるだろうというのなら選択の意義もあるが、結果、治療はそう変わらないというのなら、犬に大きな不安を持たせ、残り少ない体力を減らすことを避けようと考えている。

手術等も、できものを取れば「完治」するものであるのなら早急に判断し実行してもらうべきだと思う。でも完治する可能性が少ないものや、残された寿命のほうが完治よりずっと短いものの場合や、ほかに何かの問題を抱えていて、手術によってその犬ののちの生活に支障が起きる可能性が大きいものだったなら手術は選ばない。

先に書いた大型犬は股関節に問題があり、現状でも軽い痛みが発症している子だった。決めるのは飼い主さんだよと言いながらも、私の犬だったら「断脚はしない」と答えた。抗がん剤も状況によるけど受けないだろうと思うとも答えた。それは抗がん剤の投与をしてきた犬たちの結果が自分の理想とは程遠いものしか出会っていないからだ。大型犬が15歳を超えて生きていることは実に少ない。断脚後今まで通りの生活ができる可能性はひどく少なく感じている。股関節の問題がなかったとしても年を取れば人と同じように関節は弱くなっている。4本の足があってもいずれ歩けなくなるだろう日がやってくるというのに、今あえて断脚を選ぶか…。犬の1年が人間だったら約5.5年に相当するのなら、これからの一年の間にどんな風な変化を起こしていくかを想像してみるといい。

やらなければ良かったことをやってしまった後悔は、やれば良かったことをやらなかった後悔よりもずっと大きい。私の場合はそうだった。自責の念にずっと苦しめられる。飼い主さんたちにはこんな辛い思いはしてほしくないと思っている。

今でも犬は共に暮らす人が認識でき、自分の足で立ち・歩き、自分の口で食べることができ、一人でトイレに行けることが最善だと思っている。それができるなら体に病気を持っていても、薬を飲んでいるのだとしても、点滴をしているのだとしても、「健康寿命」を続けていると思う。そしてその年齢もまた、何歳だからよしとするものではないのだと思っている。持って生まれた変えられない運命は誰にでもあるように、犬にだってそういう物はあるのだと思う。だから平均寿命を超えたからと言って偉いわけではないし、短かった寿命に嘆くことはないのだと思っている。

持って生まれたものをどんなふうに慈しんできたか、愛してきたか、その幸せを願って努力してきたか、それが一番大切なことだ。

私が、モトイ犬の飼い主たちが犬のそばにいる意味は、犬たちの健康寿命を少しでも長く伸ばしてあげることに他ならない。それは若く美しい時期から築くものであり、犬たちの健康を害するようなことをあえて選ばずのびやかにおおらかに育て、体力をつけ、いつか来る別れの時まで彼らの暮らしの質を高くし続けておくに尽きる。。。若く美しく元気である時間は意外にもとても短いものだから。。。
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2013/12/27 Fri

Category: 独り言

ありがとうございました<m(__)m>

いつもこのブログを読んでくださってありがとうございます。

今年は、いろいろありすぎて途中からなかなか更新もできずじまいとなってしまいました。ようやく気持ち的に回復してきましたので来年からはまたみんなの様子など書き留めていこうと思っています。

ファンタをお迎えに行ってから彼女はすっかり元気になりました。レナの時のようになかなか回復が思うようにいかないということはないですが、女性ホルモンの分泌が止められてしまったせいなのかなんかトゲトゲしているような気がしますが年を取ったせいもあるので何ともです(^^ゞ

その後、ナナセも手術をすることになり、先週ようやく抜糸が終わりました。

5頭の手術をし、10頭もの家族を失いました。犬たちが一番大変だったのだけれど、さすがに今回のダメージは自分でも大きすぎました。立て直そうともがいてもどうにもならない時があるのだと知りました。今でもあの子たちの感触が体のあちこちに残っているのです。写真もまともに見れません。いい年をして何かと言っては涙が出ます。

今は少し落ち着いて大変な年だったなぁと思い返しています。そして多くの人に助けられた一年であったことをとても感謝しています。私たち家族のことを気にかけてくださったたくさんの方々、本当にありがとうございました。

天使になった家族のこと、嫁がせた子たちがだんだん天使になっていくこと、結婚した息子のこと、パパの定年、二人っきりの旅行、クラブの仕事、家の改築工事…そして同居。

もうじき今年は終わり、また新しい年が始まります。この闘病日記もまたいろいろなことが書き綴られていくでしょう。苦しくて辛いときここに書くことで少しだけ助けられている私がいます。来年は良い年となりますように…。皆様にとって、私たち家族にとって。。。

皆様、良いお年をお迎えください
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2013/08/24 Sat

Category: 独り言

重なって泣きました…。

今日日テレで24時間テレビの中でやっていた大野君が主演のドラマで思いっきりボロ泣きしました。

自宅で最期を迎えることを願った青年と、昨年末から亡くなっていった愛犬たちの姿が重なって、どうにも堪えられませんでした。彼は自分の意思を言葉で伝えられたからよかったけれど、犬たちはしゃべれないから飼い主である自分の判断次第でどのようにだって彼らの気持ちを解釈できます。

言葉をかえれば自分に都合のいいように「犬たちはこう思っているのだ」と言ってもだれにも真実はわからないのです。

ドラマは真実に基づいたもので実際にあった話でした。

それは、私にとってとても大きなことであり、もし彼の立場が自分だったら同じように家族のそばでいつもどおりの暮らしの中で最期を迎えたいと思います。確かにたくさんの迷惑もかけるのでしょうけれど、家族はそれを迷惑だと感じない集団です。犬たちがどんなに大変な時間を私たちに強いたとしてもそれは辛かったり嫌だったりやめてしまいたかったりする時間ではありませんでした。

それがドラマの中で十二分に表現されていたことと、自宅で最期を迎えたいという意思を家族に伝えた彼の思いが犬たちと同じだったろうと思えて、涙を止められなくなったのだろうと思います。

愛したあの子たちの姿は消えてしまったけれど、あの子たちは今もそばにいます。時折その感覚を感じ、時折遠い記憶の中に穏やかなほほえみをもたらし、あの子がいた記憶をいつか出会うことがあるであろうその日が来るまで背負ったまま生きていくのでしょう。

いつまでも一緒にいたいのにねという思いは変わらないまま、それでも時が過ぎていきます。天国でみんな一緒に楽しく走っているのよね?若くて元気溌剌だったあの時代に戻って…。だからたまにはこうしてお別れのあの瞬間を思い出してしまってたくさん泣いてもいいよね。。。

最愛のパートナー達 RainbowBridgeはこちらから。(元気だったころのみんなです。)
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2013/08/02 Fri

Category: 独り言

夢で逢いましょう…。

先日、うちの子たちは一回も夢に出てこないとブログに書いたら、今朝初めてマリンの夢を見た。目が覚める直前で、妙にはっきりとした夢だった。

天気が良い昼間、駐車場のシャッターが開いている。私はなぜか宙に浮かんでいて、目の下にマリンが糞ばっている姿がある。「あ〜ピーだよ…。」と早く取らなくちゃと近くに行こうとするのに体は動かない。まごまごしていると玄関が開いて若い私が現れた。

「マリンの毒ガスウンピーだ!!」と懐かしい言葉が聞こえてくる。見えている私が若いはずだ。マリンが長期にわたって下痢が止まらず、それもどんどんひどくなっていき、膵炎の時に出るような強烈なにおいを伴う黄色い便が治る気配がなかったのは、今から約10年前のことだったから。

若く見える私が、マリンがしたものをかたずけるとマリンに向かって「困ったねぇ〜、どうしたら止まるんだろうねぇ〜」と話しかけている。マリンは穏やかな顔をして緩やかに尻尾を振っていた。

宙に浮いた私は一生懸命「それは、アイムスの消化器用の缶詰で治るんだよ!!ゴールデンの絵が貼ってある缶詰だよ!!」と叫ぶんだけど、彼らには届かない。そのうちにお部屋に入ろうねとマリンを促して若い私はマリンを伴って家の中に入り玄関のドアを閉めた。

あぁせっかくマリンの姿を見れたのに…と泣きそうになったところで目が覚めた。眠っていたはずなのになぜか涙がこぼれて起きた。

薄情な子たちだって書いたから出てきてくれたのかなぁとかぼんやり思いつついつもの一日が始まる。綺麗だったな、マリン。。。病気なんかに見えないくらい綺麗だった。夢で見たように昔に戻れたらいいなぁと本気で思う。どこかの誰か、頭のいい人が「タイムマシン」を作ってくれないかな。

もしタイムマシンができてしまったら私は過去から戻らないかもしれない。。。
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2013/07/30 Tue

Category: 独り言

時代が変わる時…。

マリンとキャンディーが生きていたら今年のお誕生日、1月24日で20才である。まるで決まっていたことかのように、私たちの大切なパートナーだった子たちがマリキャンとの出会いの年から20年もたつうちに次々と天使になっていった。シェルティーだけじゃなくダックスもポメラニアンも。まだ楽観できない子たちがいるけれど、できればしばらくはそういう経験はしたくないと願いつつ。

私の周りの人たちの愛犬たちも次々と天に召されていく。同じ時代を生きた思い出深い犬たちが、記憶の中だけに生き続けながら今もうここにはいない。でも、絶え間なく愛にあふれた日々だったから、彼らと暮らした記憶は決して消えることはないのだ。一つだけ残念なことは、彼らを失ったその日がすべて昨日のことのようで、10年以上前に見送ったキャンディーですらつい数年前だったように記憶しているし、数年前に見送ったミールやレインやデイジーやメグにおいては家じゅうにある写真のせいか何年立ったのかわからなくなる。ミールもレインもデイジーも去年逝ってしまったのだとしか思えない。サムやダッシュやクリス、エリーはもう半年もたったなんって信じられない思いで、先月だった感覚のままだし、先月・先々月逝ってしまったミニーやモモや蘭になると先週だったような錯覚がある。なんでそんなことになるのかと言ったら、私の場合は愛犬を亡くしたショックからか、毎回1頭失うたびにその日からの半年くらいの記憶がポッカリ空いてしまうからなのだ。愛ちゃんの時に始まったこの現象は今もまだ続いている。

だから今年の1月の記憶はほぼないに等しい。カレンダーの月を見てもう7月が終わるのかと気が付いた時、1月は何をしていたのか、2月は何をしていたのか、3月は…と自問自答をしても毎月毎月ぽっかり空いてしまう日が数日ある。何も予定がなかった日、私は何をしていたのだろう?家族からはクレームが出ないのでそれなりに対応できていたのだろうと思うけれど、いろいろ書き込まれたカレンダーを見ながらああそうだったこんなことがあったんだったっけと思い出すけれど、その前にある辛い記憶を引き出さないように脳自体が自衛しているのかもしれない。

毎日を忙しく送っていればいつか悲しみは薄らいでいくという人もいる。時間が解決してくれるという人もいる。でも私はそれには当てはまらない。一時期これではいけないと思ってずいぶん平静を装った時があった。明るく振舞いすっかり立ち直ったかのように動いた。でも、無理なものは無理なんだ。悲しいのだもの涙を我慢しなくていい。泣きたくなった時は泣こうと決めた。今まで花なんか飾るような習慣がなかったのに、ついつい百合の花を買ってきては飾り続けている。それが何を意味するのか何のためであるのか答えは無いのだけれど…。答え探しをやめた。やりたいようにするのが解決の早道なのだろう。ある意味で「開き直る」私は弱い人間ですとさらけ出せばいいのだと思うようになった。

気が付くとそばにいる子たちは3世代目の子たちから構成されている。繋がっている血だけれど、どの子もあの子になった子はいなくて失ったこの名前をもらわなくて正解だったと思う日々もある。犬達が逝ってしまうとき、もう一度生まれ変わって帰っておいでと願っているのに、本当に生まれ変わりなんだと思う犬に出会えたためしがない。そして、今までに一度たりとも私の大切だったあの子たちは夢の中にさえ現れない。それがなぜなのか、夢の中だけでいいから顔を見たい声を聞きたいあの毛に顔をうずめたいと願っているというのに。でも現れないのはなぜなのか・・・それは今そばにいる生きている子たちに、忘れられない大切な子たちにしてきたように、同じように抱きしめてその毛に顔をうずめてねという彼らからのメッセージなのだと思えるようになっている。

それでもなお、毎朝目が覚めるとすぐに、まったく白状は奴らだと、たまに憎らしく思ったりもする。でも、夢にさえ出てこないってことは思い残すことなく虹の橋のたもとで待っていてくれているんだろうなと思ってみる。

今までに逝ってしまった子たちはみんな「待て」だけは完ぺきだった。だからきっと待っていてくれるんだろう。彼らに教えた「待て」は「お母さんは必ず君のもとに帰ってくるのだから安心してここにいなさい」という意味を持っていた。だからなのかな…。今になってみるとまだいろいろ教えている途中で不完全な状態の犬たちのほうがもしかしたら生まれ変わって戻ってきたりするかもナとか可笑しなことを考えてしまったりする始末。まったく、いい大人がまるで子供みたいだ。

自分たちの力で養い、自分の犬だという自覚を持って一緒に暮らし始められるのは大人になってからだろう。そうすると人生の始まりからのおおよそ20年は飼い主にはなっていない。20年を過ぎて犬と暮らせる残りの年月は多くても60年あったら幸せな人間だ。その60年のうちに3分の1ごとに悲しみの別れが必ず起こるのだ。私は30を過ぎて初めて自分の犬と巡り合った。そして今一つの区切りの20年がたったのだ。この先同じ区切りを後何回経験できるだろう。あと1回を幸せに思い残すことなく迎えられる日が来るようにまた新しい時代を始める年なのだと思うことにしようとおもう。。。

20年目の今年、これから新しい時代に変わっていく。振り返る最初の一区切りを超えられるようなこれからの20年を今の犬たちとゆっくりと一緒に歩き始めようと思う。。。
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